部屋

2014.04.03 (Thu)
私の母方の実家の座敷のことを話そうと思います。
父方の実家はここ大阪の近県でして、墓参りもかねて
毎年少なくとも一回は行っていますが、
母方のほうは山陰地方にあり、母の父母・・・
私にとっての母方の祖父母が亡くなってから訪ねたことはありません。
私が幼い時分・・・幼稚園から小学校低学年のときに行ったことがあるだけで、
全部で5回にも満たなかったと思います。
今ではその祖父母はもちろん母も亡くなりまして、すっかり縁が切れた状態です。
たしか母の長兄が跡を継いでいるはずですが、つき合いはありません。

母の実家は、豪邸というよりもお屋敷という形容がふさわしく、
田舎風の古びた建物ではありましたが、屋敷の後方には白壁の蔵、
庭には鯉の群がる大きな池、屋内は襖の部屋がいくつも続いていた記憶があります。
祖父母はどちらも上品な白髪の和服姿で、つねに穏やかな笑みを浮かべていましたが、
頭をなでられたり、抱き上げられたりしたという記憶はありません。
今から考えると、よそよそしいという感じの接し方をされていたと思います。
いつも母の実家に行くとき父は同行せず、母と2人、電車とバスを乗り継いで行って、
一泊して帰ってくるだけだったのですが、そのことと関係があったのだと思います。

その屋敷には、前に話したようにたくさんの部屋があり、縦に四間、その横にも四間、
計八つの日本間が並んでいる部分がありました。
部屋はそれ以外にもまだまだあったのですが、そのまとまりが最も広く、
また使用している人もなかったため、そこに入っていって遊ぶのが、
2回目以後の楽しみになりました。
居間で祖父母と過ごすのはなんとなく居心地が悪く、
また、幼い自分にとってそこは迷路のようなものだったのです。
とくに怒られるということもなく、ただ開けた襖は必ず閉めることと、
床の間にあるものは高価だからさわらないようにとの注意を母に受けただけでした。

記憶をたどってみると、右側の4間が8畳、左側はそれより広かったので、
10畳くらいだったでしょうか。幼い子どもにとっては実に広い空間です。
右側の部屋には調度は何もなく、床の間に壷や掛け軸が飾られていて、
左側の広いほうは、床の間があるのは同じですが、
中央に座卓があり座布団が部屋の隅に積み上げられていました。そのくらいの違いです。
私は時代劇の主人公になったつもりでパンと音を立てて襖を開け、
掛け軸の前に正座して鑑賞するふりをしたりもしました。
畳の上でごろごろとでんぐり返りをした記憶もあります。

本題に入ります。・・・これらの部屋の中で、気味の悪い部屋が一つありました。
座卓がなかったので右の8畳間のいちばん奥ではなかったかと思いますが、
その部屋だけなぜかひんやりとしていて、日もあまり入らず薄暗い感じで、
それと床の間に飾っているものがなにもありませんでした。
最後に実家を訪れた・・・小学校2年くらいのときだと思います。
パンパンパンと襖を開けながらその部屋に入ると、
急に暗くなり足をつまずかせて転んでしまいました。
そのとき右手の床の間に異様なものがあるのが目に入りました。
・・・裸の大人の男でした。部屋の中央に背中を向け、
床の間の壁にもたれかかるように倒れていました。

背中には墨で黒ぐろと大きく字のようなものが書かれていましたが、
漢字ではありませんでした。肌の色は灰色で鈍く、
ぴくりとも動かないので死んでいるのかと思いました。
驚きのあまりぺたりと尻もちをついてしまいましたが、
その振動が伝わったのか、男の頭が壁からずり落ちて私のほうを向きました。
・・・当時まだ30代前半だった父の顔でした。
あまりのことに、駆け寄っていいのか走って逃げればいいのか頭が混乱しました。
その父親に見えるものは、死んでいると思ったのですが、
こちらの気配に気づいたようにバタバタと両手両足を動かし始めました。
まるで、宙から糸で吊り下げられた操り人形のようでした。

それは背中を畳につけた仰向けの状態で、
ベタンベタンと音を立てながら背中だけで上下に飛び跳ね、
私のほうに近づいてきました。上を向いた顔の目は見開かれ、
赤い涙を両目から流していました。這いずって逃げました。
襖を急いで閉めた瞬間、襖にドンと重いものがあたる感触がありました。
襖を次ぎ次に開け放ちながら逃げに逃げ、
最後の部屋を出て縁側を走っていると庭に母の姿が見えました。

泣きながら大声で呼んで、今見たもののことを知らせると、
穏やかだった母の顔が瞬時にきついものに変わり、
縁に上がると私の手を引いて奥の部屋へと向かいました。
私はもちろん怖くて行きたくなかったのですが、母のただならない様子に気圧され、
引きずられるようにしてついていきました。
・・・さっきの部屋に入ると、そこには何もありませんでした。

ここから話すことはあまりありません。大阪の家に戻ると父親は普通に生きてました。
母からは父にこのことは言わないようにきつく言い含められていました。
・・・その年の暮れに祖父母は事故死しました。何の事故かは教えてもらえませんでした。
葬儀には母だけが行きました。そして翌年、母も突然心臓の病気で倒れ、
ほどなく病死したのです。それからは父と2人の生活になりました。
・・・中学生のときだったと思います。ある日何気ない感じで父にこのときの記憶を話しました。
父は黙って聞いていましたが、私の顔をじっと見て、
「お母さんはね、本当はお嫁にもらってはいけない人だったんだよ。
小さい頃から神様の嫁になるはずだったんだ。
だからお母さんのご両親はお父さんのことを憎んでたんだよ」
こうとだけ話してくれたんです。



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コメント
おぞましさ、不条理さ、解決されない謎…管理人さんの得意パターンではありますが、「怖い話」であると同時にどこか「悲しい話」でもあると感じました。そういう意味ではここでは珍しいタイプの作品なので、印象に残りますね。
| 2014.04.06 14:15 | 編集
コメントありがとうございます

怖い話が悲しいというのはそうなんでしょうね
意図して書いているわけではないんですが
どんどん人が死んでいくし・・・
怪談なので、登場人物のキャラを濃密にに設定したりせず
登場人物どうしの関係も淡いままにしてるんですが

bigbossman | 2014.04.06 18:43 | 編集
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