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自分神社

2014.06.05 (Thu)
夢の話なんですけどいいですか。
じゃあ・・・高校時代のことです。今からもう20年近く前になりますね。
野球部に入ってたんです。
当時わたしの所属してた野球部は県内でもそこそこ強豪チームで、
何度か甲子園にも行ってるんです。
自慢じゃありませんが私は2年生の春からレギュラーになりまして、
夏の県予選のときのことです。
下馬評では私たちの高校はベスト4以上は確実と言われてました。

ところが2回戦で負けてしまったんです。
8回にセカンドを守っていた私のエラーで相手に勝ち越し点が入って。
そのときの気持ちは言葉では言い表せないですよ。
今でも思い出すと、叫びながらあちこち走り回りたくなるほどなんです。
試合後は先輩たちはみな泣いてましたが、
監督の口から出るのはねぎらいの言葉だけで、
もちろん先輩たちからも私を責めるような声はありませんでした。
それがまたいっそう辛さに拍車をかけたんです。
残念会みたいなのは当然設定されてはおらず、その日は親の車で家に戻ったんですが、
まったく気力をなくして早々に寝ました。

その夜、夢を見たんです。
最初は感覚だけがありました・・・
柔らかくせまいところをもがきながら進んでいる感覚です。
私のまわりを囲んだ弾力のある壁は、濡れていてつるつるしてるんです。
黙っていると体にひっついてきて窒息しそうなんで、
両手両足を突っ張って押し広げてなくちゃならないんですよ。
その状態が、夢の中で何十分も続いた気がします。
それでも少しずつ少しずつ前に進んで、
やがて息が苦しくてどうにもならなくなったとき、
ボロッという感じで広いところに落ちました。

・・・神社の境内だと思いました。あたりを見回すと、
そんなに広くはない、周りを林に囲まれた玉砂利の参道で、強い光のあたる日中でした。
そこを社殿に向かって進んでいったんです。
鈴を鳴らし、手を合わせてお参りした記憶もあります。お賽銭はどうだったか・・・
それで、社殿の薄暗い中で神主の着物を着た人が机に向かって何か書いてたんです。
木の階段を上がって畳敷きの中に入っていきました。
すると神主は顔をあげて俺に会釈したんですが、その顔立ちが印象に残ってないんです。
男ではあったと思いますが、年寄か若いかもわからなかったです。
社殿の中はせまく、奥のほうに祭壇とご神体らしい金の鏡が見えました。

神主は木机の上で古風な帳面に筆で何かを書いてまして、自然な感じで質問が口から出ました。
「何を書いてるんですか?」
「今日の記録を整理してるんですよ」
「記録って?」そう言って帳面をのぞき込みました。
難しい筆字かと思いましたがそうではなく、教科書に出てくるようなわかりやすい字でした。
『夏の甲子園 県予選2回戦。1回裏守備機会なし、2回表、初打席ショートフライ・・・』
今日の試合の、自分のプレーについてしか書かれていなかったんです。
「これ、俺のことですよね。何でこんなこと書いてるんですか?」
「ここはあなたの神社だからです」
こんな答えをされましたが、そのときは意味がわかりませんでした。

立ったまま黙って見ていました。
神主の記録は、だんだんにエラーをしてしまった8回裏に近づいてきます。
それと同時に、昼の試合のあのやりきれない思いが胸によみがえってきたんです。
「これ、書きかえるわけにはいきませんか」
「どんなふうにですか」「俺が8回にエラーをしなかった、ってことに」
「それは事実じゃないから、できません」
神主はすらすらと書き進めて、とうとう8回に入ったんです。
「なんとかお願いします!」私は神主の筆を持っている袖を両手でつかみました。
「やめなさい、危ないです」「お願いします!!」

「危ないですって!!現実は変えられるもんじゃない」
押さえつけた神主の腕がするっと滑って、帳面が大きく墨で汚れました。
・・・まぶしい光に包まれました。見ると奥のご神体の鏡がギラギラ輝いていました。
鏡自体の表面が膨張しているように思えましたが、
「ブズッ」嫌な音をたててヒビが入ったんです。
それとともに夢も終わりました・・・どのくらい時間がたったかわかりません。
カーテンのすき間から現実の朝の光が差していました。
少し頭を動かすと強烈な頭痛がし、物がゆがんで見えました。
かろうじてベッドから頭だけ出して嘔吐しました。

なんとか部屋の外まで這いずっていって、大声で親を呼んだんです。
あとは・・・意識が途切れ途切れなんですが、
救急車の中で大声で呼びかけられてたのは覚えています。
完全に意識が戻ったのはなんと4日後のことで、集中治療室にいました。
これは後で説明されたことなんですが、私には先天性の脳動静脈奇形というのがあって、
それが破れて脳内に出血し、開頭手術をしたということでした。
それから長い入院期間があり、
落ち着いてきた頃には野球部の監督、先輩や同輩たちが見舞いにきてくれました。
でも退院した後に野球部はやめ、高校生活自体も1年遅れました。
それ以来ボールは手にしていません。
ほとんど後遺症がなかったのが幸いでした・・・こんな話です。


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