コンペティター

2014.09.09 (Tue)
去年の夏・・・今年大学に進学しましたので、高3のときのことです。
子どもの頃からずっと競泳を続けてきました。
小学生のときは平泳ぎもやってたんですが、中学からは自由形の短距離だけです。
別のスイミングクラブに、同じ齢のライバルがいたんです。
学校も小中高とも別でしたけど、家自体はわりと近くだったんです。
ライバル・・・と言いましたが、成績はつねに彼女のほうがよかったんです。
今井さん、という名前にしておきます。自由形の100,200mで、
学校の大会でもスイミングスクールの大会でも今井さんが1位で、私は2位か3位。
関東地区大会のようにレベルが高くなると、
今井さんはかわらず1位でしたが、私はぎりぎり決勝に進めるくらいでした。

種目を移ろうとは考えませんでした。
・・・やっぱりライバルという言葉は変だったと思います。
中学校でも高校でも、コーチや監督は「今井に勝て!追い越せ」
とハッパをかけて指導してくださったんです。
私自身そう思っていた時期もありましたが、体格を比べても私は160cmぎりぎりで、
今井さんはそれより10cm以上大きかったんです。
だんだんに、どうやっても勝てないものと思うようになりました。
だから、むしろあこがれの対象と言ったほうがいいのかもしれません。
地区大会や県大会の決勝で、今井さんが1位で私が2位、それで満足していたんです。
ゴールタッチしてから、先に着いていた今井さんのほうに歩み寄ってハイタッチする・・・

高校に入ってからは、私は卒業までで水泳をやめるつもりでしたし、
今井さんのほうは全日本の強化指定選手に選ばれて、
近くにいても、すっかり遠い存在になっていたんです。
ところが去年の春頃から、今井さんの姿をプールで見かけることがなくなりました。
スイミングの大会は早い時期からあるんですが、出てこなかったんです。
噂では、病気で入院しているとのことでした。
そのときは、たいしたことはないのだろうと軽く考えていたんですが、
県の水泳協会の役員をしているコーチにそれとなく話を聞くと、
脳の病気で頭を手術して、今シーズンの復帰は絶対に無理、
おそらくもう泳ぐことはできないだろうって・・・そう言われたんです。

お見舞いに行かなければいけないと思いました。
今井さんの高校の部員に聞いたら、ずっと面会謝絶の状態が続いている、
監督が行ったけれどもやっぱり会えなかったという話だったんです・・・
そして5月からシーズンに入り、
私は出た全部の大会の100mで優勝することができました。
周りのみんなは喜んでくれましたが、満足感はありませんでした。
本当なら私が泳いでいるずっと前に今井さんがいたはずですから。
タイムは平凡なもので、自己ベストでもありませんでしたし。
役員の方が「今井がいたら・・・」と話している声もあちこちで耳にしましたし、
6月に入って、今井さんが集中治療室から個室に移り、
面会にも行けるようになったという話を聞きました。

でも、そのことを教えてくれた今井さんの学校の1年生は、
「行かないほうがいいと思います」とも話したんです。
ベッドに頭を固定されて動けない状態で、
とても機嫌が悪くて周囲に当たり散らしているんだそうです。
特に水泳関係のことは見たくも聞きたくもないと言っていたということでした。
でも県大会を前にして、どうしても行かなければならないと思ったんです。
「今井さんがいなくて寂しい、もう今シーズンで水泳はやめる」そう伝えたいと・・・
前もって今井さんの家に電話してみました。
お母さんはずっと病室についているらしく、お父さんが出て、
「娘は荒れていてあなたを怒らせるかもしれないが、来てくれれば嬉しい」
こんな感じで話をされました。

日曜日の午後、果物籠を買って大学病院を訪れました。
脳神経外科の階に行ってナースステーションで病室を教えてもらい、個室へと入りました。
今井さんはベッドに半身を起こしていました。
頭にはキャップをつけ、出ているところの髪は数mm程度しか伸びていませんでした。
あんなに広かった肩幅が別人のようにやせ細っていました。
「こんにちは、髙橋です。あの、お見舞いに」ここまで言ったとたん、
今井さんが「出ていけ、帰れ、見たくない!」と、もつれた言葉で叫びました。
顔も痩せ、大きくなった目で涙を流しながら私をにらんだんです。
脇にいたお母さんが「これ、○○」と今井さんをたしなめましたが、
今井さんは点滴のチューブが何本もついた右手を振り回し、
枕元から何かを投げてよこしました。それは私の胸にあたって落ち、競泳用のゴーグルでした。

「帰れ!出ていけ!」今井さんは叫び続け、私はその勢いに押されるようにドアを出ました。
今にも起き上がって暴れ出しそうに見え、怖くなったんです。
廊下で立ちつくしていると、ややあってお母さんが出てきて、
「ごめんなさいね、あの子・・・」ここまで言って泣き出しました。
そして私の手にさっきのゴーグルを押しつけてよこしたんです。
「あの子はあんな様子だけど、これあなたにもらってほしいって昨日から言っていたの」
私はお母さんに果物籠を手渡し、そのまま帰るしかできませんでした。
エレベーターに乗るまでずっと今井さんの叫び声が聞こえていましたが、
やがてすすり泣きに変わりました。
今井さんの様子は私の学校の部員には話しませんでしたが、家で両親には言いました。
小さい頃から今井さんのことを知っている母は黙って首を振っていました。

県大会の日になりました。今井さんのゴーグルはバッグに入れて持ってきていましたが、
私は目が悪く、自分用に合わせた度つきのゴーグルをしているので使うことはできません。
私は100m自由形で自己ベストを出して決勝へと進みましたが、予選2位のタイムでした。
1位は私立の学校の1年生で、見たことのない子でした。
スタートに立ったとき、誰も入れない役員席の下に人が立っているのが目に入りました。
水着姿の今井さんだと思いました・・・そんなはずはないのに。
その姿は薄くぼんやりして、目だけが病院で見たときのように大きく見開かれていました。
ブザーが鳴りスタートしました。調子よく水に乗れている感触がありました。
50mのターンのとき、自分の前に一人いるのがわかりました。
あの1年生の子です。たいした差ではなく、私は後半型なので追い越せる気がしてました。
でも、どこまでも差が縮まりません。

「ああ、追いつけない」と思いましたが、
そのとき私のコースの前を誰かが泳いでいる気がしたんです。そんなことはありえないのですが。
その人はゼリーのようで実体がなく、足が私の上半身に入り込んでいる気がしました。
これは集中のあまり幻覚を見たのかもしれません、本当によくわからないんです。
必死で泳いでいるうちに、前の人とだんだん体が重なってきました。
もう他のコースは目に入りませんでした。とにかく前にいる人よりも先に出たい、
それだけを考えているうちにプールの壁がみるみる迫ってきて、
少し手が前に伸びたかと思ったところでゴールでした。
頭を振ったときに、やっと1年生の手がゴールに届いたのが見えました。
電光掲示板に目をやると、ドットの文字がごちゃごちゃに乱れていました。
観客がざわざわしているのがわかりました。ドットはデタラメな点滅をくり返し、
数秒して一番上に私の名前とタイムが出ました。県の新記録でした・・・

話はこれでほとんど終わりです。
電光掲示板が点滅しているとき、ドットの乱れが I M A I となって見えたのも、
幻覚だったんだろうと思います。誰もそんなことを言っている人はいませんでしたから。
私はその後、関東大会、全国大会でも次々に自己ベストを更新して優勝しました。
県大会から1週間ほどして、今井さんは2度目の手術中に亡くなりました・・・
私は水泳をやめることはできませんでした。周囲が許してくれなかったんです。
今井さんの代わりに私が強化指定に選ばれ、大学も水泳での推薦入学になりました。
不思議なことに、中学2年のあたりから止まっていた身長が伸び始め、
ごらんのように170cmを越えました。視力も回復してきています。
昔の水泳仲間からは「どんどん今井さんに似てきてる」と言われます。
泳ぎだけでなく、外見まで・・・嬉しいような、それ以上に怖いような複雑な気分なんです。

*コンペティターは競合者、敵対者というような意味です。





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コメント
これはコワイです!

体にまで影響が出てるという……。恐ろしすぎる。
椿 | 2014.09.09 02:34 | 編集
コメントありがとうございます
これは自分はあまり普段書かないタイプの話で
気に入っていただければ嬉しいです
bigbossman | 2014.09.09 23:49 | 編集
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