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因縁果

2014.09.22 (Mon)
これは怪談論に分類されるのかな?
仏教用語が出てきますが、解釈を間違えてボロが出る可能性がありますのでw
短く書きたいと思います。
「因縁果」とは、Wikiのまとめを借りると、
「因」とは、結果を生ぜしめる内的な直接原因。
「縁」とは外から「因」を助ける間接原因(条件)のことで、
この二つが組み合わさって、「果」つまり結果が決まるわけです。
例えば、ナスを育てようと思ってタネを撒きます。これを「因」とすると、
何もしないでいれば、ナスは育たないで枯れてしまいますよね。

水や肥料をやる他に、日照量や気温などの条件が適合してなければナスは育ちません。
これらの条件を「縁」と考えます。
だから「縁」によっては、意に反して、
ナスが途中で枯死するという「果」となる場合もあるわけです。
で、前項の「日本四大怪談」のところで少し書きましたが、
江戸時代頃に成立した怪談は、
仏教の影響を受けて因果応報物になってる場合が多いのです。
因果応報とは「悪いことをすれば悪い結果が帰ってくる、善いことをすれば(以下同じ)」
という考え方です。

これは現世に限っていえばまず当たっているといえると思います。
悪いことばかりする人には誰も近づきたくはないし、犯罪が露見すれば刑罰を受けます。
また善い人、正しい人のまわりには慕って人が集まってくる。
ただしこれに輪廻転生という考え方がからむと、たちまち話は複雑化します。
「親の因果が子に報い~」というのはことわざなんでしょうか?よくわかりませんが、
昔は祭りの見せ物小屋などで、
ろくろっ首の娘の横で口上師が節をつけて歌っていたというイメージがあります。
(もちろん見たことはありません)
これは親が何か悪いこと、あるいは仏教の戒を破るようなことをして、
その報いで首の長い子どもができたという意味です。

まあ現在は、「親の因果が~」と言えば、
「あんな親を見て育ったから、こんな子どもが」のように使われるのかもしれませんが、
元は昔の仏教説話からきているものです。
例えば、つねに殺生戒を犯している漁師の子に鱗が生えて生まれた・・・みたいな話ですが、
これはさすがに現在では職業その他の差別となってしまいます。
あとは先祖の悪業の報いという系統の話。
昔、庄屋だった先祖が旅の僧を騙して殺したために、子孫代々男が早死にするとか、
この類もよく見かけます。

で、自分はこの手の因果話はほとんど書きません。
理由は、個人的に書いてて面白くないからです。
まず、先祖の悪業の報いというのが古くさく感じられます。
それに、絶対に動かすことのできない、
生まれながらの宿命のようななものがあるとは、個人的に信じにくいとも思ってますし。
(ただしSFなどで、人類がある使命を果たすように進化させられているなどの話は好きです)
それから人や動物を残酷に殺した人が祟られて死ぬような話。
これも『四谷怪談』の項で触れましたが、悪人が自分の悪業のために滅びるような話は、
怖いというよりむしろ小気味いいという感じを持ちます。

『今昔物語』などでも、因果応報でない話に面白いものが多いと思います。
たとえば「水の精が人の顔をなでる話」とか。
これは1mに満たない小さな爺さんが昼寝をしてると出てきて顔をなでる。
策略を使って縛り上げると、水を入れたたらいを持ってきてくれと言う。
縛ったままたらいを前に置くと、「われは水の精なり」と言って溶けて消える。
「水の精」はいいとしても、なぜ人の顔をなでるかの説明がまったくありません。
全体のイメージは中国的ですが、現代でも不可思議系の怪談として通用しそうです。

あとは「羅城門」のような生々しい犯罪譚。
羅城門上で死女から髪を抜く白髪の老婆は、
妖怪変化ではなく毛をカツラにして売ろうとする生きた人間で、
そのことがわかった盗人は、老婆の着物をはぎ取って闇に消えます。
芥川龍之介が「羅生門」として小説化していますが、
さらにテーマを深めて文学性を増していますね。

関連記事 『日本四大怪談』







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