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丘の上 2題

2014.10.30 (Thu)
柿喰い

これはもうだいぶ古いことで、言い伝えみたいなもんだよ。
昭和のヒトケタ代前半の話だし、舞台になってる集落はダムの底に沈んで、
住人もちりぢりになってるから、知ってる人は少ないよ。
俺もじいさんから聞いたから、どこまでが本当かはよくわからん。
当時でもね、その集落は50所帯ほどしかなく、
住人も300人といったあたりだったろう。谷の村でね、ひじょうに交通の便が悪かった。
どこへ行くにも歩きで、これが廃れた一番の原因だったろう。
ダム工事があったときには15所帯くらいまで減ってたというし。
でな、7年に一度「柿喰いが山から下りてくる」という日があったらしい。
じいさんは11歳のときに始めてそれを経験したんだな。
11月の1日ということだった。もちろん新暦で、今と同じだよ。
なぜその日なのか、どうして7年おきなのかもはっきりわからん。

かなり遠い昔に遡る話なんだ。その山、というより小高い丘みたいなもんなんだが、
そこに十ほどの墓があって、なんでもその昔に一揆を起こした首謀者のもんと言われてた。
ただこれもわからんよ。墓は苔むした丸石だし、表面には一字もない。
それに、一揆の頭なんてのは磔にされて死骸も引き取れないのが普通じゃないかな。
とにかく朝から集落に緊張が走ってたっていうね。
集落の主だったもん、区長とか寺の住職は目を血走らせてあちこちの家に入ったり、
庭をあらためたりしていた。でな、そこの集落の家はみな庭に柿の木があって、
枝が塀の外に伸びていたんだ。わざとそうしてるんだ。
で、柿の実もその何本かの枝になったのはとらないで残しておく。
「子守柿」みたいな習わしだが、これには実際に意味があったんだよ。
「柿喰い」が村の通りを巡ったときに、それをもいで喰うんだ。
そして柿のないとこがあれば家の中まで入ってくると言われてた。

でも、柿の木って気まぐれなもんだろ。年によって実をつけたりつけなかったりする。
それに年数がたてば実がならなくなる。
だから、そういう家では塀の外に小さい壇を築いて、
そこに他の家からもらった柿をのせておくんだ。
あと多くはなかったが、飼い犬がいた家では、犬もその日は家の中に入れておく。
日の暮れの早い時期だから、4時過ぎには一家全員家の中に入って仏壇の下に座る。
家の鍵、といってもその頃はつっかい棒とかだったが、それを厳重にかけて籠もるんだ。
神棚にも灯明を煌々と燃して、合掌した状態でやりすごす。
その日は8時過ぎに始まったらしい。
「ジャ、ジャ、ジャ、ジャ」擦るように半鐘が鳴り響くのが聞こえた。
これは代々の集落の寺の住職が撞くきまりだった。
家族はいっそう身を固くして「南無阿弥陀仏」を唱える。
やがて、静まりかえった外から何かを引きずるような音が聞こえてくる。

一つ二つではない。別に耳を塞いでもよかったんだが、じいさんは聞いてたんだな。
かすかだが「ずる、ぺちゃ」という湿った音が確かにした。
やがてそれが、家の横で止まって「ボキン、ポキン」と柿の木の枝を折る音に変わる。
強がってみせてたものの、やはり怖くなったじいさんは母親の後ろに回って、
背中にぴったり顔をつける。さすがに柿を喰う音までは聞こえなかったらしいが、
しばらくして「ずる、ぺちゃ」が去っていくのがわかったという。
その後、2時間ほどしてまた半鐘が鳴った。
今度は「カーン、カーン」というよく通る音で、柿喰いが帰って行った合図だ。
家の者はほっと胸をなでおろし、神棚から御神酒を降ろしていただき、
あとは何もしないで眠りにつく。で、翌朝は早起きして通りの掃除をすることになる。
じいさんは、見ないほうがいいと言われたが、好奇心旺盛な年頃だし、
水桶とひしゃく、火ばさみ、竹箒を持った母親の後について朝の5時過ぎに家を出た。

通りの塀の脇には、半分食いかけの熟柿と折られた枝が転がっていて、
まずはそれを拾う。それから通り、その頃は舗装道路ではなく砂利道だったが、
そこにぽつぽつ落ちている煮染めたように赤黒い繊維の切れ端を掃き集める。
これらは後で寺に持って行って供養をするんだ。
他の家々でもみな外に出ていて、柿喰いが無事に済んだことを喜び合う。
7時になると住職と区長が回ってきて、首尾を報告するんだが、
そのときは運の悪い野犬が一匹、腹を割かれて転がっていただけで、
集落に被害はなかったらしい。まあこれで終わり。
でな、じいさんが18歳になるときの次の柿喰いは行われなかったんだよ。
まあじいさんは、そんときはもう他の土地に出て働いていたんだけどな。
最初に話したダム工事。集落のもんは反対したが、当時の国策でどうにもならなかった。
代替えの土地を与えられ、集落すべて立ち退きだ。
その工事にかかって裏の墓のある山も崩されたんだが、
事故が続いて工期は延び延びになったらしい。20人以上が死んだって話だ。

希望の像

俺たちの町の運動公園の野球場の後ろに小高い丘があって、
そこは全面芝になってて、石の階段が続いてる。上はちょっとした広場で林もある。
高さはたいしたことない。幼稚園の遠足でも登るようなところなんだ。
で、広場の中央に「希望の像」という彫刻があったんだ。
これは石像で、若い両親と5歳くらいの女の子が3人並んで手をつなぐ形をしてた。
大きいもんじゃない。実際の人の半分くらいかな。
噴水の中に台座があって、その上に立ってる。
3人とも空を見上げていて、左端の父親が空を指さすポーズをとってたんだ。
で、この像にはいろいろ噂があったんだ。
例えばカップルでこの像のところに行くと別れてしまうとか、
夜に、この父親が指さすほうの空を見るとUFOが浮かんでいることがあるとか・・・
何でこんなことに詳しいかっていうと、
俺が中2のとき、郷土学習でこの像のことを調べたんだよ。男ばっか3人の班だったな。

まず、放課後3人のうちの2人で写真を撮りに行った。時間は4時過ぎ。
上まで登ると、小さな女の子をつれたお母さんがベンチにいるだけで、
俺らは様々な角度から像の写真を撮った。
像の父親が指さしているほうの空も撮ったが、ただ雲が浮かんでるだけ。
3歳くらいの女の子が、興味を引かれたのか俺らのほうに近寄ってきて、
噴水の池をのぞき込み「かじ、かじになってる」と言った。
何のことだろうと思って池をちらっと見て驚いた。
浅い池の水に映った像がめらめら燃えているように見えたんだ。
「えっ」と思って見直すと、何でもなくただ像が映ってるだけ。
お母さんが来て女の子を抱きかかえ、もう降りていくようだった。
気のせい?と思ったが、横で友だちが変に硬直してた。
「どした?」と聞いたら、「今、耳元で アツイ って声が聞こえた」って言う。
だんだん日も暮れてきて、なんだか気味が悪くなってきたんで俺らも戻ることにした。
最後に離れたところから像の全体を撮った。

で、翌日、学校のパソコンを使ってデジカメの画像を確認したら、
近くから撮ったのは何でもなかったんだが、最後の一枚が妙なことになってた。
遠景で像を写した写真の噴水の池から、赤い光が立ち上ってた。
それは円形の池の形のまま、像を包むようにかなりの高さまで立ち上り、
薄くなって消えていたんだ。
「えー、何だよこれ」「夕日が水に反射してるんじゃないか」
「まだ日は沈んでなかったと思うけど」「それしか考えられないだろ」
こんなことを言い合った。
「これカッコイいいからレポートの表紙に使おうぜ」ということになり、
さっそく「○○公園の希望の像について」
という題の下に写真を入れてプリントアウトした。
まだ中身はぜんぜんできてなかったけどな。
それもデジカメの持ち主のやつが持ち帰ったんだよ。

その夜、そいつの家が全焼した。幸い家族は全部無事でケガもなかったが、
教科書も服も何もかも焼け、しばらく親戚の家に世話になるということで、
3日くらい学校を休んだ。火事の原因はよくわからず、
火元が外の高いとこだったんでとりあえず漏電ということになったみたいだ。
・・・当然思い当たるだろ。
あの像を撮ったときに「かじ」「アツイ」って変なことがあったのを。
今回のことと関係があるような気がしたんだ。
それと、あの噴水から赤い光が出ている写真は、
デジカメもレポートの表紙も全部燃えてしまったんだ。
これ以外に題材を変えるかという話も出たけど、いいのが思い浮かばなかったし、
とりあえず続けてみることにした。
像の写真は、町の公報にのってたのをスキャナで取り込んで使うことになった。

で、作者と像の歴史について調べてみた。
当時もネットはあったが、今みたいに簡単にアクセスはできなかったんで、
学校の図書室で町史をあたった。作者は地元出身で、東京の大学を出て彫刻家になった。
そっちで結婚して娘さんができた。
作者の顔写真と像の父親は似ているような気もするけど、
奥さんと娘さんの写真は見つからなかった。
その娘さんが早くに亡くなってることもわかった。
学校から近い図書館に行って新聞の縮刷版を見ていくと、
15年前に家は全焼して娘さんが焼死、その1年後に奥さんが病死。
火事の原因は漏電らしかった。像がつくられる5年前のことだ。
ここまで調べて俺らは完全にやめた。今、その像はもうない。
作者のたっての頼みで撤去され、像は作者が持ち帰ったんだよ。

『子守柿』





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