海中の門

2015.01.05 (Mon)
今晩は。わたしはライターをやってまして、専門は美術や建築、それと旅行です。
この夏に取材でとある島に行ったんです。孤島というほどではりませんが、離島です。
そうですね、沖縄県ではないとだけ申し上げておきましょう。
美術雑誌の編集部から依頼があったんです。
40過ぎの彫刻家の方がその島に在住されておりまして、
近況をたずねてくるようにと。実はわたしも、同じ島ではありませんが、
その近辺の出身なんです。そのために仕事が取れたようなもんです。
その彫刻家の方は20代から名前が出てまして、美術展で何度も賞をもらってます。
これはそうないことなんですよ、この世界では。
30代の半ば頃に、年の離れた学生と結婚しましてね。
ところが、そのあたりからスランプになりました。

スランプというか、もう名前は確立してましたから、作品を出せば売れたんでしょうが、
その作品が出てこない。そのうちに東京にあった家を売り払って、
奥さんといっしょに、南の島に引っ越してしまったんです。子どもはいませんでした。
でね、島に移って2年目、奥さんを事故で亡くしてしまったんです。
ボートで沖に出たときに、海に落ちたということでした。
それで、一人で隠遁生活みたいになっちゃったんですよ。
ここ数年は作品の発表もなしです。電話で連絡してみました。
どうやら携帯を持ってないらしく、ブログやフェイスブック等もなし。
何度か固定電話にかけても、ずっと不在で・・・
やっと通じたとき本人が出ましたので、取材のことを話したら断られそうになりました。
でも、わたしの名字を言ったとき、少し風向きが変わったんです。

わたしのはその島嶼域にしかない珍しいもので、しかも代々神職の家系だったんです。
もっともわたしは3男で、ですから島を離れてこんな仕事をいているわけですけど。
「彫刻は一つあるっきりだ。それも動かせないもので、発表する気はない。
 もう彫刻家として立つのはやめた。・・・ただ、もうすぐ妻の3度目の命日なので、
 あんたは神職の生まれのようだから、いっしょに弔いをしてもらえたら」
こんななりゆきになったんです。もちろんわたしはほとんど何の修行もしてません。
でもね、そう言ったら話はそこで終わりですから、適当に調子を合わせまして・・・
今から考えるとどうだったんでしょうねえ。正直なことを言えばよかったのかもしれませんが。
でね、奥さんの命日が8月23日ということで、その前日に島に着くように段取りしました。
飛行機とフェリーの乗り継ぎで、東京からは、ほぼまる一日かかります。
台風などはなかったので、予定どおり動けました。

で、22日の午後、定期船で島に着いたんですが、
わたしの郷里と方言がほとんど同じで懐かしかったです。
ただ事前に連絡を受けていた彫刻科の居住地というのが、
約300世帯ほどある島の港とは反対方向の南の突端だったんです。
広くはない島ですが交通手段がなく、自転車を借り、途中からは歩きで4時間以上かかりました。
ですから彫刻家の家にたどり着いたときは、まだ明るかったですが7時を過ぎていたんです。
せまい入り江にぽかっと白浜があり、その奥の岩壁にもたれるようにして、
手造りに見える粗末な家がありましたよ。漁師小屋を少し瀟洒にしたみたいでした。
わたしは背後の崖から下る急な道を降りていったんです。
家の前に立つと、まわりが流木らしき木でできた杭と鉄条網の柵で何重にも囲ってありました。
そして、杭の先には白くなった大きな魚の頭の骨、これがいくつもとりつけられていたんです。

入り口らしいところがなく、その前で途方にくれていると、
家の中に灯りがつき、一人の人が出てきました。彫刻家でした。
写真で見たのと同一人物でしたが、風貌はずいぶん変わってましたよ。
髪は短く刈ってあり、そのかわりに髭が伸び放題で、真っ黒に日焼けしてました。
彫刻家はわたしを見ると片手をあげ、鉄条網でくくりつけていた何重もの開けてくれたんです。
・・・取材は諦めざるをえませんでした。会ってすぐ、写真を撮るのを禁じられましたし、
島での生活もほとんど話してもらえませんでした。
ただ、翌日に島で一つだけ彫った作品を見せてもらえるということだけ。
夜は焼酎を出されまして、2人差し向かいで黙々と飲むだけでした。
わたしも酒は弱いほうではないんですが、次の日は2日酔い気味になるほど。
次の間に寝かされて、家のどこかしこも閉め切ってあるので暑くて寝苦しかったです。

翌朝8時過ぎに目覚めました。彫刻家はもう起きて、投網で魚を捕ってきたところでした。
南国の原色の魚です。見ればこれを食べるのかと気味が悪くなる人もいるかもしれませんが、
わたしは子どもの頃から慣れてまして。その後、
彫刻家が「泳げるか」と聞いたので、「まあ少しは」と答えると、
ライフベストとシュノーケルを渡されました。これも子どもの頃から慣れ親しんだものです。
短パン一丁になって彫刻家の後をついていくと、両端が海に突き出た白砂の入り江の中央は、
幅20mもなかったでしょう、両側は高い崖でした。
海水は生ぬるく、波が騒いでましたね。近々軽い嵐がくるのかと思いました。
泳ぐのは久々でしたが体が覚えていて、むしろライフベストがじゃまでした。
海底は10mほど進むとやや深く落ち込み、そこに門のようなものが見えたんです。
水の透明度は高かった。「あれが作品だよ」彫刻家は言って、ぐんと深く潜りました。

迷ったんですが、わたしもライフベストを外して続いたんです。
・・・ロダンの「地獄の門」って知ってますでしょう。あの「考える人」で有名な。
あれほどの大きさはなかったですが、全体としては似た雰囲気の扉の閉まった四角い門。
それが3mほどの海底から、岩を彫って造られていたんです。
海中での作業・・・スキューバの道具があるのは見ましたが、
それにしてもその精緻な装飾を彫るのは、1年ではとうてい不可能だと思いました。
門の上部に等身大の女の浮き彫りがありました。西洋人の面差しではなかったです。
たぶんラテン語の文章がそのまわりを飾ってました。彫刻家が隣に浮上してきて、
「妻だよ。3年前に死んだ。どうだ、これだと売ろうにも売れない。
 海底から生えているんだから」そう言って笑いました。
水中撮影の装備は持ってきてないし、どのみち取材は無理だったんだとわかりました。

その夕方ですね、雨になりまして。スコールのような激しいものではなかったですが、
風が出て波が荒くなってきました。他にすることもなかったので、2人でまた焼酎を飲みだし、
わたしのほうから「おくさんの命日は今日ですよね。何か特別なことをなさるんですか?」
こう切り出しました。そしたら「妻は海に沈んで地上に墓はない。
 あの門が位牌がわり、墓標がわりみたいなもんだ」こう答えて、
わたしに名字の由来になっている神職の家系について聞いてきたんです。
自分は3男で修行はほとんどしていない、見よう見まねくらいしかできない。
こう正直に答えるしかなかったです。彫刻家は落胆したようでしたが、
「まあしかたない。人に頼ってはいけなかったんだ」そう言って、
茶碗の焼酎を飲み干して立ち上がりました。
「妻はもう来ている。今が死んだ時刻なんだ」

外の雨は小降りでしたが、あたりは薄暗かったです。彫刻家は銛を手にして入り江に向かい、
わたしが続きました。波はうねり、海は濁っていました。
潮が引いているのか、海中の門の上部が海面に出ていて、
彫刻家は銛を握りしめ、波打ち際でそれをにらみつけていました。
海中から、白いものが出てきて門の上部の縁をつかみました。
最初何だかわからなかったんですが、か細い人の手でした。
「あの門では満足していないようだ」手は何度も滑りながら門の縁をつかみ、
海の中のものが体を引き上げました。女だと思いました。全身に真っ黒な海藻がからみついた。
「許してくれ」彫刻家は大声で叫んで、海に数歩入りました。
「危ないですよ」わたしが肩を押さえようとしましたが、強く振り払われました。
「許してくれ」彫刻家がもう一度叫び、それに呼応するかのように門の上のものが鳴きました。

門の上のものは門を乗り越えて海中に落ち、彫刻家は迎えるように肩まで海に入りこんで・・・
「ダメです。溺れますよ」わたしが叫んだ声は聞こえなかったでしょう。
立ち尽くしているわたしの目前の海で、彫刻家の頭に白い2本の手がからみつき、
そして完全に沈んだんです。・・・どうしようもなかったです。
それは助けに入ることできなくはなかったでしょう。
でも、自分は部外者だ、そういう思いがそのときに強くしたんです。
わたしはただ、実家でうろ覚えの呪言を片言に唱えるしかできませんでした。
そして、携帯で警察に連絡したんです。入り江で待っている間、
海上には彫刻家も海から来たものも姿を現しませんでした。
彫刻家の遺体は発見されず、わたしはそこで何日か警察に足止めをくいました。
海中の門には何度かもぐってラテン語の文字を書き留め、東京に戻ってから意味を調べたんです。
謝罪と強い拒絶の意味の言葉でしたよ。

*ポーのパロディが少し入っています






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