塗仏(ぬりぼとけ)

2015.01.22 (Thu)
これはまだ私(わたくし)が生まれてない頃の話で、先々代の住職の時代です。
なに、先々代の住職といっても、私の祖父のことなのですがね。
ええ、鄙びた村で代々寺の住持を務めておるのです。
秋口のことでした。村外れに住んでおった婆が亡くなったです。
70過ぎの身で毎日畑に出とったのが、姿をみせんようになって、
心配した近所の者が様子を見にいったところ、土間にふせって事切れておったんです。
医者の見立ては老衰ということになりましたが、骨と皮ばかりにやせ細っておりましてな。
実際のところは栄養失調、つまり餓死ということであったようです。
米櫃びつには一粒の米もなかったそうで。
でな、この婆には40手前ばかりの一人息子がおったが、家にその姿が見えない。
どうやら連日町に出て博打を打っておったらしいのです。

ともかく、遺体は寺で引き取りましてな。息子が戻るまで寺で預かることになりました。
本堂の奥にある6畳ばかりの部屋に寝かせておったのです。
秋口のこととはいえこのあたりは残暑も厳しく、
そう長くは置いておけんだろう、もう2日して息子が戻らなければ、
寺で簡略に葬式をあげ、火葬してしまわなくてはなるまいと思っておったそうです。
その夜の勤行をしておったときのことです。
当時は電気も来たり来なかったりで、本堂は蝋燭の明かりだけで薄暗い。
その中を白いものがふらふらと厨のほうへと向かっていくのが、
経をあげながら見えたそうです。
これは奇妙と思い中断して見にいくと、経帷子を着た死人の婆が歩いてくる。
手には寺に備えてある矢立を持っておったそうです。

いえいえ、寺暮らしをしておれば、この類のことは、
滅多にはないとはいえ、まったくないということもありません。
私も何度か経験しておりますよ。そのときも祖父は、特段怖いという気持ちもなく、
死人が何をやるのか見てやろうと思って、そっと後をついていったそうです。
そうしたらば、死人は自分が寝かされた部屋に入っていきまして、
そこも蝋燭一本だけの明かりが灯してある。
ははあ、布団に戻るのかと思ったところが、そうではない。
布団には人が寝ている様子がありました。死人の婆はその枕元にちょこんと座ると、
寝ているものの顔にかけた 面覆いをめくったのです。
するとね、そこにいるのもやはり婆だったのですよ。
つまり、婆が2人いることになります。

遺体として横たわっている婆と、その枕元に座る婆。
祖父もまだ若い時分でしたのでね、何が起こるか興味深く、
襖の陰からじっと見ておったそうです。そうしたら、婆はゆっくりと矢立から筆を出し、
寝ている自分の額に何かを書きつけておる。何度も何度も同じところに。
20遍ほどもくり返してやっと満足したものか、面覆いを元に戻し、
枕元の婆のほうはふうっと消えたのです。布団のわきに矢立が転がっておりました。
祖父は部屋に入りまして、婆の面覆いをめくってみますると、
死人の婆の額には、黒々と墨で×の字が塗り重ねられてあったそうです。
おかしなことがあるものだ、と祖父は思いました。
婆はおそらく字が書けないであろうに、
この×にはどのような意味があるのだろうかと考えてみましたが、よくわかりません。

とりあえず額の印は拭っておいたそうです。
ところがです、次の日の夜にもまったく同じ事があったのです。
自分の額に×の字を書いて消えてしまう婆。
2日たっても一人息子は戻らず、そろそろ遺体が臭うようになってきたため、
祖父と近所の者で葬式を行いました。
そして遺体を村の火葬場に出したのです。
そのあたりになってようやっと息子が町から戻ってまいりました。
博打ですったものか、婆が死んだのを聞いても世話になったの一言もなし、
それどころか、なぜ勝手に式をあげたのかと祖父にくってかかったそうです。
とはいえ、祖父のほうには檀家も村の青年団もついておりましたから、
手荒な真似もできず、しぶしぶ火葬に立ちあったのです。

当時、火葬場はできたばかりで、遺体を燃すのに重油ではなく木薪を用いておりました。
ですので火力にむらがあり、現在よりも骨が焼け残る量も多かったそうです。
婆も、炉から出してみると頭骨がほとんど残っており、
白い骨の額の部分に、黒く×の印が浮かび出ておったのです。
息子はそれを見て嫌な顔をしましたが、何も言いませんでした。
お骨は、まとめて息子が引き取りましたが、代々の墓を持つ身分でなし、
そこらの裏山にでも埋めたものと思われます。
その後、息子は一切畑には出ず、わずかな地所も売り払ってしまい、
毎日酒浸りとなりました。村役場でも話をしに出かけ、
仕事の世話まで持って行ったのですが、聞く耳もたず、処置のないあり様でした。
それで、役場の者にこんなことを言ったそうです。

「毎晩、毎晩、寝ていると婆がやってきて、俺の額に墨を塗る」と。
そう言われてみると、息子の額には薄らとですが、青黒い×の印が浮き出ていたのです。
それは墨ではなく痣のようで、いくら拭っても落ちることはなく、
むしろ日に日に濃くなってゆく。
私も詳しくは存じませんが、武士の世には、額に入れ墨をされた罪人もあると聞きます。
そんな具合だったのかもしれません。
それから1ヶ月もたたぬうちに、息子は酔った状態で溜め池に落ち、溺死してしまったのです。
これは身よりのない仏ということで、やはり寺で引き取って無縁仏として葬ることになりました。
婆と同じ部屋に寝かせてあったのですが、夜の勤行のために本道に出ますと、
そこでなにやら気配がする。祖父が覗いてみますと、
息子の面覆いがのけられ、水でふやけた死に顔がむき出しになっておりました。

そうして枕元には婆と息子が膝をそろえて座っておりまして、
2人して交互に、息子の額に墨で×を重ね書きしておったそうです。
前に婆一人のときには感じなかったのが、
このときは、ぞうっと背筋に寒気を覚えたそうであります。
2人は祖父が部屋に入りますと、すうっと消えていきましたが、
婆のほうだけが、軽く頭を下げたように見えたということです。
それで、息子は翌日火葬されましたが、婆のときとは違ってよく焼け、
頭骨もすっかり灰になっていたそうです。×の印は見つけられなかったんです。
せめて婆の墓へと葬ってやろうと、人を出して裏山などを探させたそうですが、見つからず、
結局、無縁仏塔へ入ることになりました。
まあこんな、古い時代のお話でございます。

『図画百鬼夜行 塗仏』





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