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死形

2015.01.27 (Tue)
人形遊びが好きな子どもだったんです。外に出ることはめったにありませんでした。
父が家を建てたときから子ども部屋があって、そこに籠もって一人遊びをしていました。
ゲームもコミックも、動くおもちゃも好きではなく、ただただ人形遊びです。
親からすれば手のかからない子どもだったかと思います。
2つ離れた弟が活発でしたので、「一人おとなしい子がいてくれて助かる」と、
いつも母に言われていました。ですから、それでことさらおとなしくしていたという面も、
今から考えればあるのかもしれません。そんな具合でしたので、親からも親戚からも、
私が買ってもらうおもちゃといえばほとんどが人形でした。
小学校4年生くらいのときには、すでに部屋いっぱいになってしまって、
父が人形を載せるための棚をしつらえてくれたくらいです。
その数十体の人形ですが、よく遊ぶ人形というのはかぎられていました。

当たり前かもしれませんが、手足の関節が曲がる着せ替え系の人形がお気に入りで、
置いて眺めるための人形で遊ぶことはなかったんです。
でも、それぞれに命と個性があると思っていたので、
どの人形も嫌いではありませんでした。ただ一体だけをのぞいては。
それは祖母に小学校入学のときに買ってもらったもので、
きれいな着物を着た日本人形です。とても高価なものだったろうと思います。
顔が真っ白で、手にとって遊べば汚れてしまうことがわかっていたせいもあります。
祖母は祖父を早くに亡くして、父が長男だったため同居していたんですが、
母ととても仲が悪かったんです。いわゆる嫁と姑の関係ということですね。
小さかった頃は優しかった祖母ですが、
母との関係が険悪になるにつれて、私に話しかけてくることが少なくなくなりました。

私が居間でテレビを見ているときなどに母と祖母の口論が始まると、
そっと抜け出して子ども部屋に入り、一人で人形遊びをしたものです。
下の階から母と祖母が怒鳴り合う声と、まだ幼かった弟の泣き声がよく聞こえてきました。
そして祖母からもらった日本人形の顔が、だんだんに険しくなっていった気がするんです。
最初は優しいお姫様の顔だったのが、少しずつ、少しずつですが、
目つきがきつくなっていったんです。そのことに気がついて、
私はぞの人形を棚の下段の奥、他の人形の陰に押し込んで見えないようにしてました。
祖母と母の力関係は、はじめは祖母のほうが優位だったと思いますが、
だんだんに認知症の兆候が見え始め、それとともに母が言い負かすことが多くなってきました。
父は出張が多く毎晩遅かったので、ほとんど頼りになりませんでした。
祖母が始めて徘徊で警察のお世話になった後、
両親が老人施設に入れようかと話し合っているのを耳にしたりもしました。

その矢先のことです。私が小6のときでした。
祖母が階段から落ち、車庫へと続くコンクリの床に頭を打ったのです。
日中のことで父は会社、私は学校、母は弟を連れて買い物に出かけていたときのことで、
母が帰ってきて、血を流して倒れている祖母を発見したのです。
救急車を呼びましたが、頭蓋骨の骨折と脳の損傷があり、
2日間意識が戻らずそのまま亡くなりました。
その晩、病院から戻り、部屋でひさびさに祖母からもらった人形を出してみようとしました。
他の人形の頭越しにそっと持ち上げてみたんですが、顔を一目見たとたん、
私は叫んで放り出してしまいました。刷毛で描いた点のような眉の間にしわが寄り、
目がつり上がって鬼のような形相に見えたんです。
それはどこか祖母が激高しているときの表情に似ている気もしました。

私は泣いて両親に訴え、祖母のお棺に人形もいっしょにいれてもらうよう頼みました。
父が「それはお祖母ちゃんの方見になったから・・・」と言いかけましたが、
私が父の手を引っぱって部屋へ連れていき、床に落ちたその人形を見せると、
両親ともに黙りました。それほど鬼気迫った怖ろしい姿だったんです。
人形は棺に入れて祖母とともに火葬されることになりました。
火葬が終わって遺骨を拾うときには、人形は影も形もなくなっていました。
葬儀が何もかも済んで、こう言ってはなんですが、母はせいせいしたと思うんです。
ところが、だんだんふさぎがちになって、とうとう精神科に入院してしまいました。
弟がやっと小学校の低学年でしたので、この後は食事のしたくをしたりとだいぶ苦労をしました。
母はその後、長期入院しては少しだけ家に戻ってくるということを繰り返し、
医師に禁じられていることが多く、あまり見舞いに行くこともできませんでした。

それから5年がたち、母の具合もよくなる兆候が見えてきました。
弟も手がかからなくなり、私は女子校の修学旅行に行けることになりました。
2年生の11月、行き先は京都、奈良方面でした。
さすがにその頃には、人形で遊ぶことはありませんでしたが、
人形好きは変わらず、私が無理を言って、2日目のグループでの自由行動の行き先に、
俗に人形寺と言われる場所を組み込んでもらいました。
ほら、古くなった人形やぬいぐるみ、その他、顔のあるおもちゃなどを公開で供養するお寺です。
雛人形が多いようですが、それ以外のものも1年分をまとめて本堂脇に安置し、
時節がきたらお焚き上げをするんです。他の子たちは「ちょっと怖いんじゃない、でも見てみたい」
くらいに反応でした。当日になり、4人グループで午前中に有名観光地を回り、
食事をしてからタクシーでそのお寺に行きました。

そこはいわゆる定番の観光地というわけではありませんでしたが、
そのぶん参拝の人もまばらでした。
若いお坊さんが出てこられて、親切に案内をしてくださいました。
本堂の次の間に、折り重なるようにして置かれている人形たちには圧倒されました。
それほど古い物は多くはなく、どの子も悲しそうな目をしていました。
「やっぱり怖い」「焼かれてしまうのはかわいそう」友人たちはそんな言葉を漏らしていました。
「お茶を差し上げますからぞうぞ」案内のお坊さんがそう言って、
みなが後について行ったとき、私だけその部屋に残り、人形たちから目が離せずにいたんです。
そのとき、立っているよりも座った形の人形のほうが多かったんですが、
それがひとかたまりの部分だけ、ぱたぱたと倒れだしたんです。
ありえないことでした。人形たちは互いに重なるように置かれていて、本来倒れようがないんです。

それが指で弾かれたようにひっくり返って道ができ・・・
その一番奥にあの日本人形がいたんです。祖母とともに火葬されて灰になったはずの。
着物の柄は記憶にあるのと同じで、顔は最後に見たときよりももっと怖ろしくなっていました。
私はめまいがして、畳に膝と両手をついてしまいました。声も出ませんでした。
祖母の人形は、憎々しくゆがんだ顔で、こんなことをささやきかけてきました。
「○○子が階段から突き落とした。○○子が落とした。しかし○○子ももう終わりだ」
母の名前です。ここまで聞いて私は気が遠くなってしまいました。
お坊さんに体を揺さぶられて気がつきました。
気絶していたのはほんの数分のことのようでした。反射的に人形たちのほう見ると、
整然と並んだままで、倒れているものは一体もなかったんです。
私は幻覚を見たんでしょうか・・・

友だちが先生に連絡をしてくれ、担任がタクシーで来て病院に連れて行ってくれました。
診察の結果は特に異常はなく、あのお寺で見たもののことは話さなかったので、
「前夜はしゃいで寝なかったんだろう」と軽く怒られてしまいました。
一人で部屋で休んで、さきほどあったことを考えていました。
あれは本当に見たことだったんだろうか、それとも、
ひしめき合っている人形たちの気のようなものを受けて、頭に浮かんできた幻想だったんだろうか。
「○○子が突き落とした」・・・母が祖母を階段から落としたんでしょうか。
それとも私がずっと長い間疑っていたことが、私の中で形をとって現れたのだろうか、と。
そのとき部屋の戸がノックされ、先生が入ってきました。
先生は「お母さん入院してるんだってな。容態が急変したとお父さんから連絡が入った。
 旅行社の人に手配してもらったからすぐに病院に向かえ」・・・こう言われたんです。







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