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生命科学と魂

2015.02.07 (Sat)
幽霊や魂の話を自然科学でするとなると、物理学を持ち出す人が多いです。
自分も物理系で何本かこのブログに書いています。
ですが、生命科学を持ち出す人ってあんまりいないですね。
これはなぜなんでしょうか? 自分は、けっこう論点がいろいろあると思うのです。
まず一つめ、肉体を離れた純粋な意識というものは存在できるのか、
という問題があると思われます。
われわれの意識は肉体の影響を大きく受けています。
意識をつくりだしていると考えられる脳が、
体の他の部分の影響を受けていると言ってもいい。
これはどういうことかというと、例えばこのブログを読んでいる人は、
目から視覚情報を得て、それを元にいろいろ考えを巡らせていると思います。

われわれの意識の多くの部分は、外部からの情報、刺激を受けて成り立っているのです。
それは視覚情報だけではなく、音や痛覚、嗅覚、暑い寒いなどの感覚もそうです。
部屋の温度が下がっていることを、皮膚などからの情報を受けて脳が感知し、
それを意識に伝える。意識は「寒い、なんとかしなきゃ」と考え、
「ストーブをつける」という行動が起こるわけです。
これはあたり前と言えばあたり前ですが、
では、肉体を持たない意識だけの存在というのが成り立つのでしょうか。
感覚遮断実験というのがあります。
アイソレーション・タンク(人間が浮かぶ程度の比重の液体を満たした容器で、
外部からの光や音を遮断する)を用いた実験などが知られています。

感覚を遮断される・・・目も見えず、音も聞こえず、皮膚感覚なども制限される、
その状態が長く続くと、人は自分で自分に刺激を与え始めます。
例えば体をなで回したり、近くのものを叩いたり。
意識がそれを要求するわけですね。それも制限されてしまうと、
眠り込んでしまったり、幻覚を見たりします。
人の意識は外部からの刺激がない状態になかなか耐えられないのです。
そして感覚遮断実験が終わった後に、計算問題や知能テストのようなのを行うと、
能力が非常に落ちることも知られています。
鉱山事故などで暗くせまい空間に閉じ込められた場合、
人は長く生存できないと言われます。これはさまざまな要因があるでしょうが、
感覚遮断もその一つではないかと考えられています。

では、肉体から切り離された魂、純粋な意識(あるいは精神)
だけの存在があるとしたら、外部からの刺激のない場合は、
われわれの想像が及ばないような意識内容になるのではないかと思われます。
ただし、体外離脱の体験談を見ると、
意識だけの存在になっても、周囲の様子が見えたり、音が聞こえたりするようです。
よくあるのは、上から横たわった自分の体を見おろしていたとか。
では、魂(純粋な精神と言ってもいいか)は、
感覚器を持たずに、まわりの様子を知ることができるのでしょうか。
ここは疑問があります。

脳は肉体なしに発達するのは不可能です。0歳から1歳ほどの赤ちゃんは、
よく周囲の様子を見ています。
耳から聞いた音、それから、くちびるの形を見たりして言葉を覚えていく。
つまり感覚器を通して脳を発達させているわけです。
また、指を中心とした体の動きによって、脳の運動を司る分野を発達させます。
ですから、もし生まれたばかりの赤ちゃんの脳だけを取り出して培養
(そんな実験はできませんが)すれば、
おそらく普通に発達することはないと思われます。
これは遺伝子のプログラムによる学習のプロセスと考えられます。
脳は肉体あってこその脳、と言えるわけです。

なにも赤ちゃんだけの話ではなく、大人でも、
われわれの脳が神経伝達物質をどう出すかは、
末梢神経などからの情報による場合が多いのです。
肉体のほうから脳に指令を与えていると考えてもよい。
われわれは「精神」と「肉体」を切り離して考える場合も多いですが、
精神が脳から生じているものだとすれば、脳と肉体は切り離すことができないのです。
ではもし、魂があらゆる感覚を備え、独自に思考できるのだとすれば、
脳というのはいったい何のためにあるのか、ということになってきますよね。
このあたり、みなさんはどう考えられますでしょうか。

2つ目、もし魂があるとしたら、人の発生のどの部分で宿るのでしょうか。
精子や卵子の段階ですでに魂を持っているのでしょうか。
それとも受精の瞬間?それとも細胞分裂をくり返して、脳ができたあたりでしょうか。
これもあまり議論されることのない話題です。
しかし疑問だと思いませんか。
われわれ人間は「遺伝子を運ぶ船」と例えられることがあります。
自分が今ここにあるのは、先祖代々遺伝子を受け継いできたからで、
偶然もあったでしょうが、長きにわたる生存競争を勝ち抜いてきた特性が、
われわれ一人一人の遺伝子には詰まっているはずです。

このことを輪廻を認める宗教などはどう考えるのでしょう。
営々と受け継いできた遺伝子を持つ赤ちゃんとして生まれた個人に、
ぽっと、まったく関係ない(大きな目で見れば人類のルーツというのはありますが)
前世を持つ人の魂が入り込んだりすることが起きるのでしょうか。
これも考えてみると大きな疑問です。
われわれは何のためにずっと遺伝子をつないできているのか。
単に人間一人一人、個体間にバリエーションを持たせるためとは、自分は思えないですね。
また宗教的にも、日本人の場合は祖霊崇拝が強いと思われますが、
輪廻で、祖先とは関係ない人が入ってきているとすれば、
墓参りなどを行う意味があるのでしょうか。

こう疑問点を書いてきましたが、やはり生命は不思議です。
生物と無生物の差とはなんなのでしょう。いちおう定義らしきものはあります。
自己増殖能力、エネルギー変換能力、恒常性維持能力などですが、
ウイルスなどの存在をつきつめて考えれば、これもわからなくなってきます。
生物学者、生命科学者には悩みがあるでしょう。
自分は、自分が生命であるということは一つの驚異と考えています。
どこともしれぬところからやってきて燃えている生命の火。
この不思議さからすれば、個人的には、死後も意識が残るとか、
魂だけになっても周りの様子が知覚できるなどのことは、
それほどたいした話ではない気がするのです。
つまり、今を生きて在ることは神秘であり驚異であり、
次など期待せずに今を生きよ、ということですね。







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コメント
精神はそれだけで独立したものではない、と考えてます。肉体なしの精神はあり得ないのではないでしょうか。

精神は、人間への肉体的刺激に対する反応にすぎません。われわれは頭脳でそれを統合していると認識しているのだと考えてます。

なぜ統合できるのかは、一個の肉体としてわれわれが認識している人間は無数の命題の連鎖で構成された神の一部分であり、その時点ですでにあるベクトルをもって統合されているからだ、と考えてます。人間が生きるとはそのベクトルに従って必然性をともなって動くことです。

死ぬとはわれわれを構成する命題が統合を失うことであると考えています。現象的には、それはわれわれの肉体の機能停止や元素の分解としてあらわされるでしょう。

もし、われわれに、神を構成する無限の命題のうちの有限な部分を統合することが可能であれば、その命題を再統合して、「生きた人間」を再構成することも不可能ではないでしょう。それは現象的にはその「生きた人間」の身体を構成していた原子や素粒子をひとつひとつ、その向かう方向と位置と速度を正確に配置することとしてあらわされるでしょう。

その場合、どこまでを再統合すれば「生きた人間」を再構成することになるのかは議論の余地があります。ミニマムな意味では「肉体とその付随する精神状態」を再現するだけの原子や素粒子を再統合することによって「人間」を再構成した、といえるでしょう。それに対しマキシマムな意味では、われわれの生活世界、「この宇宙」すべての原子や素粒子をひとつひとつ配置しなおすことにより、いわば「宇宙全体」を再構成することによりようやくひとりの人間を再構成することができた、といえるでしょう。後者の場合、観照できる立場にいるものがあるとすれば、宇宙は「まったく同じ」動きをすると認識すると思います。

そんなことをつらつら考えています。


わたしはほんとにビョーキなのかもしれません。
ポール・ブリッツ | 2015.02.08 15:53 | 編集
コメントありがとうございます
猿がでたらめにタイプライターを叩いて
偶然にドストエフスキーの「罪と罰」を一字一句そのままに書き上げる
という話を思い出しました
これは天文学的な確率で、ありえないことですが
偶然を操作できる者というのがいれば別かもしれません

ところで自分は幽霊の話でSF的な平行世界を考えることがあります
ある人は死んでいるが、その人が生きている世界もあり
それが何らかの原因で重なり合って・・・とか



bigbossman | 2015.02.09 00:16 | 編集
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