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木食(もくじき)

2015.02.08 (Sun)
もう20年も前のことになります。当時わたしは美術工芸大学の学生でして、
木彫をやってたんです。結局ものにならず、今は一介のサラリーマンですけど。
2年生のときでしたけど、近県に木喰仏があるという話を聞いて、
同じく木工をやってた友人と、レンタカーを借りて出かけたのです。
木喰仏ってご存じですか?木喰上人という江戸後期の遊行僧が彫った仏像です。
これがいい仏さんでしてね、微笑仏(みしょうぶつ)とも言われていて、
ほとんどがにこやかに微笑んだお姿なのです。
フォルムもデフォルメがきいてて、言われなければ現代作品だと思う人も多いです。
全国を巡り歩いた人なので、各地に600体以上の作品が残ってるそうです。
ああ、作品と言っちゃいけないのでしょうね。
私などはどうしても美術作品として見てしまいますが、本来は信仰対象でしょうから。

大学に入ってからその存在を知り、ひと目実物を見てみたいと思っていたんですが、
隣県のお寺にあるってことを聞きまして、夏休みを利用して行ったんです。
友人は奥野という名前で、私と同期でした。今では気鋭の彫刻家です。
車で6時間ほどかかりましたね。ナビはありましたけど、
レンタカーにはまだついてなくて、迷い迷い行った先がすごい田舎の村でした。
山奥でね、田んぼはほとんどなくて果樹園ばっかり。
目指すお寺の名前はもちろん調べてきたんですが、
林道のようなとこでまた迷ってしまいました。小雨がパラついて暗くなってきました。
困っていると果樹園の主らしき人が通りかかったので、道を尋ねたんです。
「○○寺って知ってますか」
「知ってるけど、かなりこっからは離れてる。まあ、ほとんど一本道だけどな」

「アチャー、そうですか」
「あんたらは何しに?」
「あの、木喰仏を見に来たんです」こう言いましたら、
ふっとその人の表情が曇った気がしたんです。
「・・・もくじきさんって、どっちの?」こう聞き返されました。
「ほら、木喰上人っていうお坊さんが彫った仏像ですよ」
「ああ、ああ、それなら」表情が戻りまして、詳しく道を教えてもらったんです。
後から考えればおかしな反応だったんですが、このときは何とも思いませんでした。
それから20分くらいで、村外れにある小さなお寺に着いたんですが、
それがひじょうに荒れ果てた雰囲気だったんですよ。
建物はあちこち破れ目が目立ってたし、全体に薄暗い感じがしました。
本堂の表戸の扉も閉まっていましたし。

住居らしきところに行って呼び鈴を押すと、ややあって小柄な僧侶が出てきました。
年は若かったです。40になるかならないかくらい。
袈裟も薄汚れてましたが、愛想はよかったです。
要件を話すと相好を崩し、われわれを住居から招き入れて本堂に案内してくださいました。
木喰仏はありました。それはご本尊ではなく、別の間に安置されていたんですが、
寺の内部の他の部分は汚れてるのに、よく手入れされていて色つやがよかったです。
感激しました。奥野もそのようでしたね。
彫り自体は荒く、鑿の跡がわかるほどなのに、全体の印象がとても柔和なのです。
作者の精神性の高さがにじみ出ている気がしました。
・・・形だけ手を合わせてから、美術品として鑑賞しました。
小1時間ほども見ていたでしょうか。

奥野は住職に頼んでスケッチブックに模写しました。
満足して帰ろうかとしたとき、住職から、
「これから帰るとなると、着くのは夜の10時を過ぎるでしょう。
 よろしかったら泊まっていかれませんか」こう勧められたんです。
申しわけないし、晩飯のこともあるので断ろうとしたんですが、
「粗末ですが、夕餉もお出ししますから、ぜひ」
・・・夏休み中で翌日はバイトも入ってなかったし、雨脚も強まってきていたので、
お言葉に甘えさせてもらうことになりました。
どうやら寺には住職が一人で住んでいるらしく、料理も自分でされていて、
これにも恐縮しました。夕餉は粥に野菜の天麩羅という精進料理で、
量的にはややものたりませんでしたが、贅沢は言えません。

食後のお茶をいただきながら、いろいろ話をうかがいました。
なんでもその寺は、江戸末期までは村の総檀家寺として栄えていたが、
ある不始末があって新しく別に寺ができ、ほとんどの墓もそちらに移されている。
住職は由緒ある寺を絶やさないために、宗門から派遣されてこの寺を守っている、
などのことです。ある不始末というのが気になりましたが、
そのときは内容は話してもらえませんでした。
「夏場のことで暑いですから、雨戸を開けておきます。蚊帳を吊りましょう」
住職がそうおっしゃり、われわれは木喰仏のある隣の間に、自分らで布団を引きました。
8時過ぎには蚊帳の中に入りましたが、もちろんそんな時間には寝つけません。
奥野が準備よく携帯ラジオを持ってきていましたので、それを聞いたり話をしたりしてました。
住居とは離れているので、うるさい気遣いはなかったんです。

それでも10時を過ぎると、私は長時間運転した疲れもあり、
いつの間にか寝入ってしまいました。
ひじょうに不可解な夢を見ました。夢の中なのに真っ暗で、息苦しいんです。
耳元で鉦を叩く音が聞こえ続けていました。
薄いタオルケット一枚なのに、汗をびっしょりかいて目が覚めました。
ぼんやりと蚊帳の天井が見えました。でも、現実に鉦の音が聞こえたんです。
そちらを見ると、半身起き上がった奥野が、何者かと蚊帳ごしに顔を合わせていました。
何者かは暗くてよく見えませんでしたが、手に鉦を持って叩いているようでした。
「お前、何・・・」声をかけたんですが、聞こえた様子もなく、
奥野は立ち上がって蚊帳をめくりました。「おい!」
奥野は蚊帳の外に出、その人物とふうっと重なったように見えました。

そして鉦を叩きながらスタスタ歩いていきました。私も立ち上がり後を追いました。
次の間、木喰仏の前に座って、奥野が下を向き、胸の前で鉦を叩き鳴らしていました。
私は肩に手をかけ、「おい、何やってんだ」と大声を出しました。
それでも平然と鉦を叩き続ける奥野の横に回り、顔をのぞき込んで絶叫しました。
落ちくぼんだ眼球のない二つの穴、むき出しになった上下の歯・・・ミイラの顔だったのです。
タタッと畳を小走りする音がし、電灯がつきました。
振り向くと住職が数珠を持って立っていたのです。
住職が私にはわからない言葉で何かを言い、奥野は横様に倒れ、手から鉦が落ちて転がりました。
・・・住職が抱き起こして羽交い締めのような形をとると、奥野は息を吹き返し、
「何だ、どうしたん?」と寝ぼけたような声を出しました。
腕時計を見ると、深夜の2時過ぎでした。

夕餉をいただいた部屋でお茶を出され、お話をうかがいました。
「あなたがたには迷惑をかけましたね。
 ずっと何事もなかったので大丈夫と思っていましたが・・・業の深いことです」
その寺が村から総スカンを食った不祥事というのは、即身仏にまつわることでした。
これはご存じでしょう。昔の僧が食べ物を制限して痩せていき、
最期は生きたまま石室の中に埋められるというものです。そのときわずかの酒と水、
塩を与えられ、手に持った鉦を叩き続ける。やがて鐘の音が聞こえなくなると空気穴を埋め、
3年の後に掘り出すと木乃伊になっているという。
名もなき僧だった木乃伊は○○上人の名を与えられ、みなの信仰の対象となるわけです。
どういう不祥事だったのか、肝心のところは聞けませんでしたが、
その僧の他に、村人も一人亡くなっているのだそうです。

「そのことがあって、このお寺ではよくないことが続き、ついに放置されたのです。
 そこで宗門のほうから、悪霊を鎮めるために木喰仏をいただきまして、
 代々派遣された僧侶一人がそれをお守りしているのです。
 『木食』というのは、即身仏になる前の修行で、五穀断ち十穀断ちをすることです。
 肉食はもちろん、穀物も一切食べず、口にするのは木の実や草の根だけ。
 塩などの味付けや、煮炊きの調理も許されません。
 そうして入定する前に体内の業を落としていくのです。
 最後に漆の樹液を飲んで水分をすべて吐き出し、穴に入る。
 『木喰上人』に即身成仏の話があるわけではありませんが、
 その仏像の威徳、お力にすがろうという意図だったのでしょう。
 あの木喰仏が安置されていた間は、即身仏の石室の上に建てられているのですよ」

『木喰仏』


 




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