幽霊の条件
2015.02.11 (Wed)
話が少し堅くなってきたので、今回は雑多な内容にします。
現代の実話怪談などを読みますと、実に様々な形の幽霊が出てきます。
白いもやのような影、黒い人影、生きている人よりも透けて見える人、
赤い巨大な顔、生首、腐乱死体、ガイコツ・・・
中には手だけ、足だけなどといった場合もあります。
このあたりは考えてみると不思議ですよね。
例えば手首だけの存在というのは人間の魂なのでしょうか?
残りの体の部分が、轢断などでぐちゃぐちゃになっているため、
しかたなく手首が代表して出てきているのでしょうか?
これについては面白い論点があります。
もし、生きている人間の体を頭頂部から縦に左右半分に切断し、
なおかつ最新医学でもって両方を生かしておいたらどうでしょう。
さらに片方を飛行機に乗せて、ブラジルとか遠く離れた場所に移動させる。
もし魂があるとしたら、その左右の体の部分のどっちにあるでしょうか? とかw
まあこれは、魂自体は天上などこの世ではない場所にあり遠隔で肉体を操ってる、
とでもすれば解決するかもしれません。
あるいはもっと単純に、肉体が分かれれば、
魂もそれにつれて分かれる、のほうがいいでしょうか。
そうすれば手首だけの霊というものの説明もより容易な気もします。
それと、幽霊の服装、体の状態ですね。
江戸時代頃の幽霊だと、死に装束で出てくる場合が多いようで、
あの白の経帷子と、額につける三角の天冠。
これははっきり当時の芝居の影響だと思いますが、現代の幽霊は様々な姿とります。
死亡時の服装(事故のときの服装、あるいは病院の寝間着とか)の場合もあれば、
故人が生前に気に入ってよく着ていた服、の場合もあります。
事故で大きく体が損壊した亡くなりかたであった場合でも、
血まみれのぐちゃぐちゃで出てきたり、まったくキレイなままで出てきたりもします。
・・・これは、幽霊には自分が見せたい姿で人に見られることができる、
とすればいいのかもしれません。
それならメガネをかけた幽霊や車イスに乗った幽霊などの説明もつきます。
幽霊の出る場所、というのもあります。意外に墓場には出ないようで、
死亡現場、あるいは特定の人に対して出るという話のほうが多いようですね。
地縛霊、浮遊霊などという言葉もありますが、どうでしょうか。
では、どういう人が幽霊になるのでしょうか。
この問題は宗教と深い繋がりがあります。
多くの一神教では、神は全知全能であるので、
その手を離れてふらふらさまよっている幽霊は存在しないことに、
建前上なっているようです。
前に知り合いのアメリカ人(日曜ごとに教会へ行く信仰の深い人)に聞いたときに、
そんな答えが返ってきました。つまり、幽霊として目撃されるのは、
天使か悪魔が姿を変えたもの、
または何らかの事情で神が幽霊として地上にとどまることを許した者、
ということになります。
昔の映画『ゴーストーニューヨークの幻』なんかもそういう設定でしたね。
とはいえ、アメリカでも幽霊目撃談は近年増えてきています。
ジャパニーズホラーの影響もあるのかもしれません。
あと、自分は欧米の幽霊体験談サイトもよく見るのでご紹介します。
『Real Ghost Stories』
下記のサイトには15000近い投稿体験談が収集されています。
Real Ghost Stories
もちろん個々には似通ってる部分がありますが、
日本とは傾向の違いがありますね。
日本は怪談文化?というものがあるせいか、
目撃者、体験者に焦点があてられることが多い。
どれだけ怖かったかとか、
体調が悪くなって霊能者へ行こうかどうか迷ってるwとか。
向こうの場合は、幽霊が出た時刻や場所、回数、外観、聞こえた音の高低、
気温とか、詳細に現象そのものを記録してるものが多いですね。
その他にも、幽霊に対する文化の違いがいろいろと見えます。
さて、では日本では、幽霊になる人とならない人ではどういう違いがあるのか?
よく言われるのは「この世に恨みや心残りのある人」です。
幽霊の残留思念説、というのがありますが、これはある人が亡くなるとき、
その人の魂というよりも、
強い感情がこの世に残留してそれが生きた人に影響を与えるというものです。
人間の意志や感情にエネルギーがあるのか、
というのは興味深い論点ですが、今回は触れません。
この説だと、だんだん時間の経過とともに思念が弱まっていって、
やがては消えてなくなると考えられることが多いようですので、
古い時代の霊があまり見られないことの理屈もつけられそうですね。
また残留思念ではない場合、
殺された人や幼い家族を残していかねばならなかった人、
結婚式を間近にひかえた人など、さまざまに念が残るケースがあるでしょうが、
どうなんでしょう、そういう人には死や死後の世界は救いにはならないのでしょうか?
キリスト教国だと、人の魂を裁くことができるのは基本的に神だけです。
現実世界での復讐や法廷での裁きというのはあるでしょうが、
人が幽霊になって生きた相手に復讐する、という話は非常に少ないんです。
これも、裁きは自分でしなくても、公正かつすべてを見通せる神が、
死後に審判をしてくれるという考え方からきているのでしょう。
幼い子を残して死んでしまうのも、結婚式直前で亡くなるのも、
すべて神の意志というわけです。
次によく言われるのが「自殺者」です。生命を粗末にした、
自分に対する殺人を犯したため、
その罰的な形で一定期間この世に魂がとどまってしまう、
そういう話をする人もいます。
さらに、自殺者は自分の死を霊になって何度もくり返すなどの話もあります。
よく自殺の名所と言われ場所で、
崖から身を投げる霊が目撃されるのはこのためだとか。
これもよくはわかりませんが、一定の自殺予防効果はあるとは思われます。
世界的に見れば、日本は自殺率の高い国ですが、
自殺が戒律で禁じられているカトリック国は低いところが多いようです。
最後に、歴史的に見た幽霊になる条件を書いてみたいと思います。
幽霊らしきものの話は古くから登場しますが、日本では御霊(おんりょう)
信仰という考え方があります。
代表的なところでは、菅原道真、早良皇太子、井上内親王、崇徳上皇などですが、
これらの人が祟りをなす霊となる条件として、さまざまな説があげられています。
・子孫が絶え、祀るものがいなくなった者
・無実の罪に落とされた者
・刑死ではなく、食を断つなど自ら死を選んだ者 などです。
これは歴史学的に定説になっているわけではないですし、
すべての条件がすべての御霊にあてはまるというわけでもないのですが、
上記の人たちは無実であった可能性は高く、
後に名誉回復され、位を追贈されたりしています。
日本で、9世紀初めの薬子の変から12世紀半ばの保元の乱までの300年以上、
公的な死刑が実施されなかったのは、
この御霊信仰やケガレの概念のためとも言われていますね。

現代の実話怪談などを読みますと、実に様々な形の幽霊が出てきます。
白いもやのような影、黒い人影、生きている人よりも透けて見える人、
赤い巨大な顔、生首、腐乱死体、ガイコツ・・・
中には手だけ、足だけなどといった場合もあります。
このあたりは考えてみると不思議ですよね。
例えば手首だけの存在というのは人間の魂なのでしょうか?
残りの体の部分が、轢断などでぐちゃぐちゃになっているため、
しかたなく手首が代表して出てきているのでしょうか?
これについては面白い論点があります。
もし、生きている人間の体を頭頂部から縦に左右半分に切断し、
なおかつ最新医学でもって両方を生かしておいたらどうでしょう。
さらに片方を飛行機に乗せて、ブラジルとか遠く離れた場所に移動させる。
もし魂があるとしたら、その左右の体の部分のどっちにあるでしょうか? とかw
まあこれは、魂自体は天上などこの世ではない場所にあり遠隔で肉体を操ってる、
とでもすれば解決するかもしれません。
あるいはもっと単純に、肉体が分かれれば、
魂もそれにつれて分かれる、のほうがいいでしょうか。
そうすれば手首だけの霊というものの説明もより容易な気もします。
それと、幽霊の服装、体の状態ですね。
江戸時代頃の幽霊だと、死に装束で出てくる場合が多いようで、
あの白の経帷子と、額につける三角の天冠。
これははっきり当時の芝居の影響だと思いますが、現代の幽霊は様々な姿とります。
死亡時の服装(事故のときの服装、あるいは病院の寝間着とか)の場合もあれば、
故人が生前に気に入ってよく着ていた服、の場合もあります。
事故で大きく体が損壊した亡くなりかたであった場合でも、
血まみれのぐちゃぐちゃで出てきたり、まったくキレイなままで出てきたりもします。
・・・これは、幽霊には自分が見せたい姿で人に見られることができる、
とすればいいのかもしれません。
それならメガネをかけた幽霊や車イスに乗った幽霊などの説明もつきます。
幽霊の出る場所、というのもあります。意外に墓場には出ないようで、
死亡現場、あるいは特定の人に対して出るという話のほうが多いようですね。
地縛霊、浮遊霊などという言葉もありますが、どうでしょうか。
では、どういう人が幽霊になるのでしょうか。
この問題は宗教と深い繋がりがあります。
多くの一神教では、神は全知全能であるので、
その手を離れてふらふらさまよっている幽霊は存在しないことに、
建前上なっているようです。
前に知り合いのアメリカ人(日曜ごとに教会へ行く信仰の深い人)に聞いたときに、
そんな答えが返ってきました。つまり、幽霊として目撃されるのは、
天使か悪魔が姿を変えたもの、
または何らかの事情で神が幽霊として地上にとどまることを許した者、
ということになります。
昔の映画『ゴーストーニューヨークの幻』なんかもそういう設定でしたね。
とはいえ、アメリカでも幽霊目撃談は近年増えてきています。
ジャパニーズホラーの影響もあるのかもしれません。
あと、自分は欧米の幽霊体験談サイトもよく見るのでご紹介します。
『Real Ghost Stories』
下記のサイトには15000近い投稿体験談が収集されています。
Real Ghost Stories
もちろん個々には似通ってる部分がありますが、
日本とは傾向の違いがありますね。
日本は怪談文化?というものがあるせいか、
目撃者、体験者に焦点があてられることが多い。
どれだけ怖かったかとか、
体調が悪くなって霊能者へ行こうかどうか迷ってるwとか。
向こうの場合は、幽霊が出た時刻や場所、回数、外観、聞こえた音の高低、
気温とか、詳細に現象そのものを記録してるものが多いですね。
その他にも、幽霊に対する文化の違いがいろいろと見えます。
さて、では日本では、幽霊になる人とならない人ではどういう違いがあるのか?
よく言われるのは「この世に恨みや心残りのある人」です。
幽霊の残留思念説、というのがありますが、これはある人が亡くなるとき、
その人の魂というよりも、
強い感情がこの世に残留してそれが生きた人に影響を与えるというものです。
人間の意志や感情にエネルギーがあるのか、
というのは興味深い論点ですが、今回は触れません。
この説だと、だんだん時間の経過とともに思念が弱まっていって、
やがては消えてなくなると考えられることが多いようですので、
古い時代の霊があまり見られないことの理屈もつけられそうですね。
また残留思念ではない場合、
殺された人や幼い家族を残していかねばならなかった人、
結婚式を間近にひかえた人など、さまざまに念が残るケースがあるでしょうが、
どうなんでしょう、そういう人には死や死後の世界は救いにはならないのでしょうか?
キリスト教国だと、人の魂を裁くことができるのは基本的に神だけです。
現実世界での復讐や法廷での裁きというのはあるでしょうが、
人が幽霊になって生きた相手に復讐する、という話は非常に少ないんです。
これも、裁きは自分でしなくても、公正かつすべてを見通せる神が、
死後に審判をしてくれるという考え方からきているのでしょう。
幼い子を残して死んでしまうのも、結婚式直前で亡くなるのも、
すべて神の意志というわけです。
次によく言われるのが「自殺者」です。生命を粗末にした、
自分に対する殺人を犯したため、
その罰的な形で一定期間この世に魂がとどまってしまう、
そういう話をする人もいます。
さらに、自殺者は自分の死を霊になって何度もくり返すなどの話もあります。
よく自殺の名所と言われ場所で、
崖から身を投げる霊が目撃されるのはこのためだとか。
これもよくはわかりませんが、一定の自殺予防効果はあるとは思われます。
世界的に見れば、日本は自殺率の高い国ですが、
自殺が戒律で禁じられているカトリック国は低いところが多いようです。
最後に、歴史的に見た幽霊になる条件を書いてみたいと思います。
幽霊らしきものの話は古くから登場しますが、日本では御霊(おんりょう)
信仰という考え方があります。
代表的なところでは、菅原道真、早良皇太子、井上内親王、崇徳上皇などですが、
これらの人が祟りをなす霊となる条件として、さまざまな説があげられています。
・子孫が絶え、祀るものがいなくなった者
・無実の罪に落とされた者
・刑死ではなく、食を断つなど自ら死を選んだ者 などです。
これは歴史学的に定説になっているわけではないですし、
すべての条件がすべての御霊にあてはまるというわけでもないのですが、
上記の人たちは無実であった可能性は高く、
後に名誉回復され、位を追贈されたりしています。
日本で、9世紀初めの薬子の変から12世紀半ばの保元の乱までの300年以上、
公的な死刑が実施されなかったのは、
この御霊信仰やケガレの概念のためとも言われていますね。

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