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わかる

2015.03.29 (Sun)
きっかけは、大昔のことなんですけどね。
昭和30年代、今からするともう50年も前のことになります。
わたしが中1のときですね。家が近所の柴くんって子の家に、
他の友達2人と遊びに行ってたんです。柴くんも含めて、
全員同じ小学校出身でした。中学校では、柴くんは特殊学級に
入ってました。今は特別支援学級っていうみたいですね。
でもね、勉強ができなかったわけじゃないんですよ。
まあ、よくはないけど、それでもペーパーテストだと小学校のときは、
どの教科も50点~60点はとってました。
これより悪い同級生も何人もいたんです。
じゃあ何で特殊学級かっていうと、まず一つは場面緘黙。

これはある特定の場面になると声を出さなくなるってことで、
大勢の前でってケースがほとんどです。普段はそれなりに
しゃべってるのに、授業で指名されたりすると一言も話さず、
いつまでも突っ立っている。柴くんもそうでした。
もう一つ、予定と異なる出来事が起きるとパニックを起こして固まる。
ほら、学校だと急に校時変更になるときがあるじゃないですか。
例えば台風で6時間目カットとか、急に視察のお客さんが来たので、
1校時と5校時を入れ換えとか。柴くんは、
その日の朝に1日の予定をプリントを見て確認してくるので、
忘れ物などは絶対しないんですが、予定変更があると動けないんです。
椅子に座ったまま、目を閉じてぷるぷる震えて。

そんな理由で、親も承知して中学校から特殊学級になったわけです。
でも、放課後にはよく遊びに行ってました。
彼の家はお金持ちで、いろんなオモチャがあったんです。
今みたいにテレビゲームなんてないころですから、ラジコンなどですね。
それで、小学校のときから柴くんには特殊な能力があることはわかってました。
数に関するものです。一つは、碁石のような小さい同じくらいの大きさのもの、
あれを碁笥から片手でも両手でも、柴くんがつかみ出して、
37などと答えるとぴったり当たります。これは重さでわかるわけじゃないんです。
彼が握らなくても、わたしらが適当にすくってバッと畳の上にばらまく。
そうすると、何かに隠れてなければ、一目見ただけで124などと答えることが
できました。数えるわけじゃなく、一瞬で見て取るんです。不思議でしょう。

サヴァン症候群って言うみたいですね。
自閉症やその他の発達障害の子に多いんですが、
ある特定の能力が常人をはるかに超えてるんです。柴くんのような、
数に関する能力がよく知られてますけど、音楽や絵などでもあるみたいです。
・・・私らはね、当時柴くんを特別視はしてませんでした。
昔から知ってる仲間しかまわりにいないと、けっこうしゃべるんですよ。
その日はです、遊びに行ったうちの相原という子が、
「万年カレンダー」という本を持ってきてまして。
ずっと未来まで続いているカレンダーなんですよ。
柴くんはこれも得意なんです。そのときは1962年でしたけど、私らが本を見て、
「1980年○月14日」と聞くと、「○曜日」と間髪入れず答えが返ってくる。

それだけでもすごいんですが、この逆がもっとすごい。
逆というのは、「1976年、○月の3回目の水曜日」という聞き方をすると、
「17日」と返ってくるということです。柴くんの場合は、
これができるのは西暦で質問した場合だけでした。
昭和○年という聞き方をすると答えられず、パニックを起こしそうになる。
不思議ですけど、そういうメカニズムだったんでしょうね。
みな口々に質問しましたがすべて正解で、やや飽きてきたときに、
最上という子が冗談で、「相原の死ぬ日は何曜日?」と聞いたんです。
そしたら、これもすぐ「火曜日」と帰ってきました。
驚いて柴くんの顔を見るといたって真面目で、彼は冗談など言わなかったんです。
「えーわかるのか、じゃあその日は何日?」

「2015年の3月10日」やはり答えは一瞬で、
柴くんがにこりともしないので、少し気味が悪くなりました。
この話はやめなきゃと思ったんです。みなもそういう気持ちだったらしく、
相原が、「2015年というと俺はえー65歳ってことか。けっこう長生きするんだな」
こう冗談めかして言いました。それで終わりにするつもりだったんでしょうが、
柴くんは、「死ぬのは生きてるのとあんまりかわらないよ」こう言って、
立って窓の外を見たんです。その部屋は通りに面した2階でしたが、
柴くんは「17人いる」って言ったんです。
わたしらも見てみると、歩いてる人が数人いるだけでした。
柴くんは続けて、「生きた人が4人、死んだ人が13人、
 どっちもそんなに変わらない」こうね、歌うような感じで言ったんです。

その柴くんは、不幸なことに、
中2の夏休みに国道でトラックに跳ねられて亡くなったんです。
そのお葬式のときには、近所でしたので私も相原も最上も参加したんですが、
後で「柴くんは自分が死ぬ日の年月日も知ってたんだろうか」
なんて話をしたもんです。これは謎でしたね。
この一連のことは、わたしら3人の間では深く記憶に残っていまして、
同窓会などで会うたびに、「相原の亡くなる日」の話が出たんです。
相原は会社にちょっと勤めただけで、その後は実業家というか、
飲食店経営をやってました。「柴くんの言ってたことが本当だとしても、
 逆に考えれば65歳までは死なないということだから、
 思い切って仕事に打ち込める」こんな調子でしたよ。

それで、今月の10日です。相原が亡くなったんですよ。
まさに予言というか、柴くんの計算というか、それとぴったりでした。
ええ、最近はあまり付き合いはなかったんですが、お葬式には参列しました。
そのときに奥さんに聞いたんですが、
「2015年の3月10日に俺は死ぬかもしれない」と、
ここ何年かずっと言ってて、今年に入ってからは「万が一に」ということで、
遺言やら事業の整理のようなことをしてたようなんです。
健康診断もひんぱんに受けてたんですが、
血圧が少し高いくらいで大きな異常はない。
10日の日には家に独立してる息子さんや娘さん、孫たちを呼んで、
居間でワインなどを飲んでたんだそうです。

その日の夜の10時を過ぎて、
相原には特におかしな様子も見られなかったということでした。
日付が変わるまであと2時間を切り、柴くんの予言のことは家族も
知ってましたけど、もうだいじょうぶだろうって思ってた矢先のことだそうです。
相原は急に、眩しそうに目をぱちぱちしばたき始めたんですが、
「あっ!」と叫んでソファから立ち上がり、「来たのか、柴。俺を迎えに!」
こう叫んで、ドーンと前のめりに倒れたということでした。
いびきをかいて意識がなく、救急車を呼びましたが、
病院に到着したときにはもう、いけなくなっていたそうです。
・・・この話を聞きましてね、最上と顔を見合わせました。ねえ、どうしても、
あのとき柴くんに死期を尋ねたのが、わたしたちだったらって考えてしまいますよ。

サヴァン症候群の画家 スティーブン・ウィルトシャーの作品

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コメント
bigbossmanさん、こんばんは!!^^

実話っぽく感じました。予言はノストラダムスの大予(?)言や肖像画もなまら怖いです僕は。^^;なんで予言なんてあるのかなあ。m(__;m
くわがたお | 2015.03.31 02:22 | 編集
 予知、予言、余命宣告・・・自分が死ぬ瞬間を予め知っていたら、人はどう生きるのでしょうね。「覚悟は幸福」だと言った神父もいますが、そこは個人差がとても大きい気がします。
 相原氏は、半信半疑ながらもそれを逆手にとって成功した、珍しい事例かもしれません。
| 2015.03.31 18:56 | 編集
コメントありがとうございます
このケースはたぶん、数字に関する予言しかできないんじゃないでしょうか
頭の中で歯車式の計算機が回ってるイメージです
bigbossman | 2015.03.31 23:38 | 編集
コメントありがとうございます
そうですね・・・アメリカのニューエイジには
人は同じ人生を何度も何度も永遠に繰り返すというカルト宗教が
あった気がします
これは前の記憶がないから救われているという話でした
bigbossman | 2015.03.31 23:41 | 編集
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