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摂理

2015.04.25 (Sat)
1年前、親父が肝硬変で亡くなった。まだ50代のはじめだよ。
おそらく前から具合が悪かったんだろうが、俺らに隠して働いてて職場で倒れた。
救急搬送された病院で、もう治療の方法がないくらい悪い、
余命1ヶ月あるかどうかって言われたんだ。
それで、俺と母親で相談して医者の勧めるとおりホスピスに入れたんだよ。
できるだけ苦痛がないようにって思ったんだ。
それから2ケ月持って亡くなった。
長くないことはほんにんも知ってたが、愚痴ひとつこぼすでもなく、
尊敬できる最期だったんだ。意識も亡くなる3日前まではしっかりとあった。
ただ・・・その1週間ほど前から奇妙なことを言いだしたんだよ。
「俺が死んだら、遺骨を○○県の□□の浜に撒いてくれ、できるだけ残さずに」って。

「何だよ親父、遺言かそれ、縁起でもねえな。
 にしても○○県とは、ずいぶん離れた場所だな。若いころにいたことがあんの?」
「いや、ない」 「え? じゃあなんでまた」
「うん・・・説明はできないんだが、そうしなきゃいけないらしい」
「らしい? だれかが親父にそう教えたってこと?」
「そうじゃないんだが、自然にわかったっていうか。・・・これは摂理なんだろう」
「摂理?って」 「どうしてもそうしなきゃならない定めってことだ」
「何だよそりゃ」ホスピスで、こんな会話になったんだよ。
で、親父は意識を失うまでこのことを言い続けてたんだ。
わけわからねえだろ。だけどよ、親父があんまり真剣に頼むもんで、
俺と母親はそうしてもいい、って気になりかけてたんだ。

このことは実家で健在の親父の両親、俺の祖父母も見舞いに来たとき聞いてたんだよ。
親父が生きてるうちは特に口をはさむということもなかったが、
いざ火葬が終わった段階になって、「いくら本人の頼みでも、
 遺骨を海に流すことはできない」って言い出したんだ。
まあねえ、そう言うのも無理はないとは思うんだよ。先祖代々の墓があるわけだし、
それなのに遺骨を海に流すってのは親戚連中の手前が悪い。
ましてよ、そこの海が親父の思い出の地ってんならともかく、
本人自身が、ぜんぜん知らない行ったこともない場所だって言ってるんだから、
不自然というか、他人に理由を説明することができねえよな。
かといって親父本人はものすごく真剣だったし、
病気からくる妄想だったとしても無碍にはできない。

それで、折衷案になった。遺骨の大部分は実家の墓に納めるんだけど、
ごく一部を俺が持ち帰って、それを親父の言ってた□□浜の海に撒く。
これなら行政のほうにもし知れても、大きな問題にはならないだろうって結論だった。
でな、初七日を過ぎて、俺がその遺骨を撒く役目をすることになった。
弟もいるけど、まだ学生だったしな。
で、土曜日の朝から、親父の遺灰を入れた陶製の容器を車に積んで、
ナビをたよりにその○○県に出かけたんだ。
いや、俺もその県に行ったのは初めてだよ。高速を飛ばして車で8時間かかった。
だから朝に出たのに、その県に着いたときには日が暮れかけてた。
○○浜ってのはすぐに場所はわかったが、けっこう広い地域なんだよ。
どこに行って撒けばいいのか迷った。

というか、どこでもいいんだろうと思って、海岸沿いの道路を流してたんだよ。
ぞこは岩浜で、黒々とした岩礁が続き、漁の船なども見えなかったが、
夕日で赤く染まった海岸に、桟橋がずっと伸びてる場所を見つけたんだ。
「ああ、ここだ」って思った。そんときに、
親父の言ってた摂理って言葉が頭に浮かんだんだ。
その桟橋が骨を撒く場所として定められてる、そうわかったんだよ。
車を適当な場所に停め、遺灰を入れた容器だけを持って桟橋に近づいていくと、
車からは人がいるようには見えなかったのに、
十数人ばかりの人が集まってたんだよ。みな沈鬱な表情をしててね、
手に十字のマークの入った銀色の遺骨壺のような容器を持ってた。
この人らも遺骨を撒きにきたんじゃないかって思った。

で、みなは言葉をかわすでもなく、
軽く会釈をするくらいにして桟橋に立ってたんだ。全員が沖のほうを見てた。
そしたら、ほとんど波のない穏やかな海面の、50m先くらいに泡が立ち始め、
急に黒い船が浮き上がってきたんだ。漁船でもない、大昔の木造船だ。
船首に女の立ち姿のような奇妙な像がついてたから、日本のじゃないかもしれない。
すっかり朽ち果てて、貝がびっしりとついてて、海藻もまとわりついてた。
船はゆらゆらと揺れながらも帆柱らしきものを上にして立ち、
そのまわりで大きな黒い魚が何匹も跳ね上がったんだ。
その魚は、こっちの俺のいる桟橋目がけて近づいてくるようだった。
10mほども近くにきて、魚じゃないとわかった。
イルカとかそれ系のものだった。海棲の哺乳類。

いつの間にか桟橋はそいつらに囲まれて、そうだな、
頭数はそこにいる人間と同じくらいだと思った。
イルカたちは桟橋をぐるっと取り巻くようにして、一斉に水面から顔を出した。
それが合図であったかのように、集まってたやつらが、一斉に海に遺骨を撒き始めた。
すると、撒く尻からイルカがばくばくと食べだしたんだよ。
「きゅい、きゅい」って嬉しそうな声で鳴きながら。
俺はほら、前に話した事情で遺灰の一部しか持ってきてなかったから、
すぐに撒き終ってしまった。そしたら、隣にいたスーツ姿の老人が、
「それじゃあ、足りないでしょう」って言ったんだ。
それを聞いて、俺も「ああ、これじゃ足りない。
 なんで親父の言うとおりにしなかったんだろう」って後悔の念がわいてきた。

全員がすっかり遺灰を撒き終ると、イルカたちは船のほうへ戻っていき、
黒い沈没船は、波も立てず静かに沈んで消えたんだよ。
桟橋にいたやつらはみな満足そうな様子で、やはり話をせずばらばら帰っていく。
俺だけが、取り返しのつかないよくないことを親父にしてしまった。
そんな気持になってたんだ。
その後は、近くの道の駅で車中泊をして、翌日に戻ってきた。
そしたら、母親が「たいへんなことが起きたよ」って家に入るなり言った。
前日の夕方、ちょうど俺があの桟橋で遺灰を撒いているあたりの時刻に、
まだ墓に納めずに家の祭壇にあった骨壺のふたが吹っ飛んで、
中から水が跳ね上がったんだそうだ。慌てて母親が拭いたが、
遺骨は水びたしで潮のにおいが強くしたということだった。

親父にまつわる部分はこんなことなんだが、2日前に祖父が亡くなった。
親父の49日が過ぎたあたりから体を悪くして入院してたんだ。
実は祖母も別の病院に入院してて、これも医者の話では長くはないらしい。
親父が死ぬ前までは病気の話もなく、2人ともかくしゃくとしてたんだよ。
それで、祖父が死ぬ前においおいと泣いたんだよ。
親父の名前を呼んで、「あいつには可哀そうなことをした。
 天国には届いてないだろう。言ったとおりにしてやればよかった。」って。
で、最期に俺の手を握って、親父と同じあの浜に遺灰を撒いてくれって言う。
俺はそうするつもりだ。親戚から反対があってもやるよ。
またあの船が浮かぶんだろうか?
そしてイルカの群れが来て遺灰を食う・・・なあ、どう思う?



*摂理(Providence)とは、人生の出来事や、人間の歴史は、
神の深い配慮によって起きているということで、
聖書に基づいたキリスト教の人生観を言い表している。
ヒンドゥー教・仏教の「因果・業・カルマ」
また、イスラム教の「運命・アッラーの意志」と比較することによって、
その概念の特徴を浮き立たせることができる。








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コメント
 どこか「日本らしくない話だな」と思って読んでいましたが、最後の注釈で何となく合点がいきました。
 日本で一般的に「摂理」というと「自然の摂理」であって、神を持ち出す人は多くないでしょうね。だからこそ「摂理」を悟ったお父さんも、それを理解できた語り手氏も、うまく説明する言葉を持たなかったんじゃないかなーと。
| 2015.04.27 23:16 | 編集
コメントありがとうございます
これは何でしょうねえ
もしかしたら遠い昔に隠れキリシタンとかだったのかもしれません
いつの間にか仏式に変わっていたものの・・・
bigbossman | 2015.04.28 20:12 | 編集
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