姫山

2015.05.22 (Fri)
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私の集落にある姫山という山にまつわる話をします。
まず、この名前は地元の通称で、
実際は山地の突端にある標高300mほどの山なんです。
そこは山が3つ並んでいて、向かって左端の一番高いのがトバ山。
すみません、漢字はわかりません。中央が舟山で高さも2番目。
ついこの間、山頂にある神社の改修工事があって、
付属の井戸から奇妙な骨が出たという話を聞きました。
右端にあるのが姫山で、ここは頂上付近が小公園になっていて、
地元の小学生が遠足に行きます。そうですね、登山道はどの山にもあるはずですが、
トバ山に登ったという人の話はあんまり聞いたことがないです。
真っ黒で何もないからじゃないでしょうか。

その姫山なんですが、昔、江戸時代の頃までは男子禁制だったそうです。
これは珍しいですよね。女人禁制という山は各地にいくつもありましたでしょう。
まず富士山がそうだったし、御嶽山、立山・・・
たくさんあります。ところが姫山は男子禁制で、
それが解除されたのが明治の半ばころだったそうですよ。
今でも大人の男性が登ることは少ないです。・・・登るのは難しくはないです。
小学3年生の足でも1時間なんてかかりません。私も5歳で初めて登りました。
そのときの話なんです。そんな小さい頃なのに、不思議と記憶は鮮明です。
はい、祖母に連れられて行ったんです。地元に「ばんば講」というのがあるんです。
年よりのお婆さんだけの親睦会みたいなもので、家族に迷惑をかけずに、
ぽっくり亡くなることを願掛けしているのだということを、後で聞きました。

ええ、そのお婆さんたちが連れだって姫山に登るんです。
行き先は山頂の公園広場じゃなく、そこを通り過ぎて山地側に少し降りるんです。
そうすると、そこにもわずかな平地があって、御堂が建ってるんです。
ばんば講の人たちはその御堂にお参りします。もちろん私は入ったことはないですよ。
ばんば講に加入できるのは60歳以上なんです。
あ、それと、その御堂のある一帯は今でも男子禁制です。
私が祖母に連れて行ってとせがんだんです。
両親は共働きで、私はお祖母ちゃん子でしたし、
その頃はまだ妹も生まれてなかったですし。そしたら祖母は少し考えてから、
「講といっしょに行くことはできないけど、
 わたしと2人で行くぶんには構わないよ」こう答えてくれたんです。

それで、土曜日の午後に出かけました。父母は特に何も言わなかったです。
私は着物は浴衣しか着たことがなかったんですが、
そのときは祖母が用意してきた、子供用の白い一重の着物を着せられました。
祖母も同じ白い着物で、これは講の人たちがみな持っているものです。
登山道は何本かあるんですが、そのときは一番登りやすい、
丸木を埋めて階段のようにしたところを通って行きました。
夏でしたね。ちょうど今頃の時期です。まだセミは鳴いておらず、
緑が鮮やかだったのを覚えてます。
私の足元がおぼつかなかったんでしょう。祖母はゆっくり登り、
少しの難所でも手を引いてくれました。
公園広場まで1時間以上かかったと思いますが、あまり疲れた記憶はありません。

そこから今度は下りになったんですが、
10分もいかないうちに御堂の屋根が見えてきました。
神社に似たつくりで、御堂の四方を小川がとりまいていました。
幅は30cmほどでしたから、堰と言ったほうがいいかもしれませんね。
深さも数十cmほどだったと思います。近くに寄ってみると、
その堰はどこともつながってなかったんです。
つまり御堂の四囲にある小さなお堀みたいになっているんですが、
それなのに、かなりの速さでさらさらと流れていたんです。左回りでした。
これって不思議ですよね。中にポンプなどがあるのなら別ですが、
そんな様子はなかったです。祖母は、
「わたしは中でお参りしてるから、この前で少し待ってなさい。

 さびしいことはないから。ただね、このお堀を越えてはいけないよ。
 越えることはできないけど、痛い思いをするからね」
そう言い残して、自分だけ堰をまたぎ越し、御堂の裏手に回って行ってしまいました。
「あ、待って」と追いかけようとしたんですが、
その頃の私には堰はけっこうな幅に感じられたんです。
それでも、着物の裾を持って跳ぼうとした途端、
お腹のあたりに鋭い痛みを感じたんです。それで後ろにひっくり返ってしまいました。
御堂の裏手で、引き戸が開け閉めされる音がしました。
私が泣き出そうとしたとき、祖母が回って行ったほうから、
私と同じくらいの年の女の子が出てきたんです。その子はすごく華やかな着物に、
きれいな帯を締めていて、しかも手にいっぱい玩具を持ってました。

玩具と言いましたが、手にしてたのは手毬やお手玉などの昔の遊びものです。
その子は「○○ちゃん、いっしょに遊ぼう」と私の名前を呼びながら、
軽々と堰を跳び越えて近くにきたんです。
私はその子が差し出した、極彩色の手毬に見とれて泣きやみました。
お腹が痛かったのも一瞬だけのことでしたし。
その子はまったく見たことない顔だったんですが、
話をしてみると私のことをとてもよく知っていました。
草の上に座って30分ほども遊んだでしょうか。
「そろそろ行くね。また痛い思いをするから追いかけてきちゃダメ」
そう言ってその子が立ち上がり、また堰を跳び越えて御堂の後ろに回り込んだんです。
私はさっきのことを思い出し、堰の外を回ってそっちに駆けて行きましたが、

また戸が開く音がして、私がその面に出ると、
祖母が後ろ手に戸を閉めて出てくるところでした。
「今の子は?」と祖母に聞いたとき、名前を聞かなかったことに気がつきました。
祖母は堰を越え、それには答えず、ただ私の頭をなでただけでした。
そして、来た道をたどって家に戻ったんです。
それから、いくら私がそのときの子のことを祖母に聞いても、
はぐらかすようにして答えてくれませんでした。
祖母はその2年後に亡くなりました。まだ60才台だったんですが、
畑に出ているときに倒れてそれっきり・・・意識が戻りませんでした。
まさにばんば講で願っていたとおりになったわけですが、私には早すぎる死でした。

次に姫山に行ったのは小学校3年の遠足のときです。
私は5歳のときのことを覚えてましたので、自由時間に皆から離れて、
山の後ろに回っていきました。御堂の屋根が見えてきて、
そのまわりでたくさんの女の子たちが遊んでいました。
みな色とりどりの着物を着た5歳くらいの・・・
私がもっと下に降りようとしたとき、
女の子の中の一人が私に気がついてこちらを指さし、
その子たちは蜘蛛の子を散らすようにして御堂の中に入ってしまったんです。
一瞬でシーンとしてしまい、私はとても申しわけないような気持になって、
それ以上は降りずに、遠足の仲間たちのほうへ戻ったんです。
点呼のときに姿が見えなかったということで、先生方に怒られてしまいました。

遠足の帰りです。クラスごとに一列に並んで坂を下っていると、
横道から白い着物のお婆さんたちが出てきました。ばんば講の人たちでした。
お婆さんたちは私たちが通り過ぎるのをやり過ごそうとして、
そこで立ち止まってにこにこしながら私たちに手を振っていました。
これで話はほとんど終わりですね。
私は地元をずっと離れず、ここで結婚して子どもが2人できました。
2人とも女の子です。姫山へは、小学校の遠足以来、
いつか行こうとは思いながらも、機会がなく果たせませんでしたが、
今年母が60歳になったんです。
それで、今もあるばんば講に入りたいと言ってるんです。

でも、昔と違って今の60歳なんてかくしゃくとしてるし、
寿命だってこれから20年以上もあるじゃないですか。
ばんば講の人って、たしかに長患いしないで亡くなる方が多いけど、
なぜかあんまり長生きしないんですよ。
だから、どう返事したものかどうか決めかねているんですが、
もしかしたら、母と一緒にまた姫山に登る機会があるかもしれません。

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コメント
 先日の続編・・・というより外伝でしょうか。「ばんば」は「婆(ばば)」の転訛かな?
 「怖い話」カテゴリにしては寂しいような優しいような、かなり毛色の違う話ですね。回転する小道具のせいか、時空系の匂いもします。
| 2015.05.24 19:46 | 編集
コメントありがとうございます
おそらく不思議な力が土地にあるんだろうと思います
もう一つの山の話もあるのかもしれません
bigbossman | 2015.05.24 22:01 | 編集
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