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民話的な発想をする

2015.06.13 (Sat)
では一つ、例として黒民話を書いてみます。
無理やりなのであまりいいものにはならないかもしれません。
お題はそうですね、七五三とかにしましょうか。
黒民話系の話は、時代はできるだけ古く(といっても江戸時代とかだと、
それはそれで現実感がなくなってしまいますが)
また、地域をあいまいにしたほうがいいです。
ネットに書く場合、創作前提のところでなければ、
「いくら検索しても、そういう風習の話はかけらも出てこない」
という人がいるからです。

それと、実際の行事とあまり密接に関係した話は、
内容の自由度が損なわれてしまいます。「祖母が子どもの頃のこと」
「その地域からは引っ越してしまい、今はどうなってるかわからない」
「過疎のため昔のようにはやってないと思われる」
くらいのあいまいさがベターです。
こつとしては、長く書かないこと、くわしく書かないことです。
くわしくするほどボロが出ますし、ぼやーっとにじんだような感じが、
かえって民話としての幻想味を際立たせるように思われます。

まゆご様

私が子供の頃、もうだいぶ前に亡くなった祖母から聞いた話です。といっても、
祖母にしても幼い時分のことであり、多くは祖母の両親から聞かされたものです。
当時、祖母は小さな市に住んでいまして、そこが先祖代々受け継いだ土地だったんです。
その市は6つの地区に分かれており、それぞれ氏神神社が異なっていました。
祖母の話では、その頃七五三は全国的には広まっておらず、
地元でもその地区だけの特異な風習とみられていたそうです。
現在では七五三は11月に行われることが多いですが、
祖母のところでは、秋の収穫が終わったばかりの10月はじめということでした。
満でいうと2歳、4歳、6歳の女の子だけが集められたそうです。
着るものは晴れ着ではなく、白の浴衣に近い着物だったということです。

ですから、すべての子が同じような姿になります。もちろん千歳飴はありません。
まず2歳児の行事が昼に行われます。毎年30人ほどですが、
その子らは氏神神社の裏手にある山の祠に集団で入れられるのです。
明け3歳の幼児と言えば、ほとんどが歩けるし、話せますが、
中にはおしめをしてる子もいますよね。
その子らが一人ずつ、紙の灯明を持たされて真っ暗な祠に入れられるのです。
通り抜ける時間は1分程度なのですが、これは怖いでしょう。
でも親の足にかじりついて離れないような子は最初から除外されます。
泣き出して動かない子なども同じです。灯明を持って祠をくぐって来た子のうち、
にこにこ機嫌がよく、しかも灯明が消えてない子が「まゆご様」に選ばれます。

これは振り分けをするための儀式なんですね。大勢の2歳児のうち、
まゆご様になれるのは年に3人、多くて4人だったということですが、
祖母もその中に入っていたんです。
まゆご様は、生まれつきの素質を持っている子で、
さらに祠の中で、ほんのわずかの時間に神様から力を授かると言われていました。
このまゆご様の力がもっとも高まるのが、数え5歳のときです。
その1年間は、いろいろな場面に借り出されるということでした。
祖母も、山菜採りに行って戻ってこない年寄りの捜索に加わったと言ってました。
もちろん一度も入ったことはない山の中なのですが、
装束を着て若い衆に肩車されていくと、頭の中に人の声が聞こえたそうです。

「その人はまだ生きておるよ」祖母はそう言って、山中の一方向を指でさし示し、
それを何度かくり返して、1時間もたたないうちに、
崖下にうずくまってふるえている年寄りを発見したのだそうです。
5歳のまゆご様は、七五三の神事では子ども巫女役を務めます。
これは場所を移して夜に行われるのです。
○○沼という、地区の外れにある沼です。これは自然のものではなく、
江戸中期ころに掘られた人工の溜池ということでしたが、
もう農業用水には使われていなかったそうです。
その一方のふちにかがり火がしつらえらえ、
かなり高さのある櫓が組まれています。

池へ通じる長さ5m、幅1mほどの道は泥の斜面になっていて、
小さな白い鳥居が立てられています。夜中の11時過ぎでしたが、
祖母は眠くもならず、むしろお役目がうまく果たせるかと緊張していたそうです。
大人に抱えてのせられた4人のまゆご様は櫓の上で、
それぞれ手に柄杓を持っています。沼から上がってきたものに、
御神水の入った桶から、柄杓で水を注ぎかけるのです。
櫓の足下には7歳のまゆご様が、手に榊の枝を持って控えます。
もしも、櫓の守りが破れたときの備えということですね。
これまでの長い間に、破られたことは1度しかなく、
そのときは2人のまゆご様が引かれてしまったという話も聞きました。
まゆご様は7歳までですので、その子らは最後のお務めということになります。

櫓の後ろにいる神職が「来られるぞ」と大きな声を出し、
かがり火で赤く染まった沼から泡が湧き上がり、白い手が水面に現れたそうです。
やがてそれは泥の道にとりついて、ゆっくりと体を引き上げました。
全身どこもかしこも真っ白な裸の子どもで、
背中や腹は泥と緑の藻に覆われて男か女かもわからなかったそうです。
年の頃は、そのときの祖母と同じ5歳か6歳。立ち上がることができず、
四つん這いのまま、泥の道を進んできます。「それ!」という神職の声を合図に、
4人のまゆご様が桶から御神水を汲んで、その白いものに振りかけます。
体にかかっても苦しむということはなかったそうですが、
滑りやすかった泥地に水がかかって泥濘と化し、
白いものはずるりずるり滑って前に進めません。

「お帰りなされ~」「いになされ~」このように言いながら、
祖母たちはどんどんと水を汲みかけます。やがて白い子どもは進退窮まり、
ずるんと大きく滑って沼まで転げ落ちました。
ひとしきりその上に水をまいた後、神職が進み出て朗々と祝詞を唱えます。
これで神事は終わりです。次の年、その年5歳のまゆご様にその役が回ります。
こうして長い年月、代々にわたって続けられてきた儀式だということです。
祖母は、転がり落ちる前に見た白い子どもの、
ぽかんとしたような表情が忘れられないと言っていました。
心の中に「どうして?」というその子どもの気持ちが伝わってきたそうです。
話では、七五三はまだ行われているそうですが、
過疎のためか、まゆご様は今はもういないということでした。

*やっぱあんまりいい話になりませんでした。







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