鬼一口

2015.06.29 (Mon)
「鬼一口」(おにひとくち)という言葉があります。
これは平安時代初期に成立した『伊勢物語』より発生した語で、
『伊勢物語』は、『在五中将物語』とも言われるように、
在原氏の五男であった右近衛権中将、歌人の在原業平を主人公とした歌物語です。
では、この語ができた元になったといわれる、
あまりにも有名な芥川の段(第6弾)を見てみましょう。短いものです。
教科書にも採用されているので、ご存じの方も多いでしょう。

むかし、をとこありけり。女のえうまじかりけるを、
年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出でゝ、
いと暗きに来けり。芥川といふ河をゐていきければ、草の上にをきたりける露を、
かれはなにぞとなむをとこに問ひける。ゆくさき多く、夜もふけにければ、
鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、
あばらなる蔵に、女をば奥におし入れて、をとこ、弓やなぐひを負ひて、
戸口にをり。はや夜も明けなむと思ツゝゐたりけるに、鬼はや一口に食ひけり。
あなやといひけれど、神なるさはぎにえ聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、
見ればゐてこし女もなし。足ずりをして泣けどもかひなし。

 白玉か なにぞと人の 問ひし時 つゆとこたへて 消えなましものを

昔ある男(業平)がいて、手の届かない身分の女をなんとか連れ出したが、
真っ暗な中、芥川という川を渡りっていくと、背中に負った女が、
草の上の露を見て「あれは何?」と尋ねました。
このあたりは、野の露も見たことがないほどの深窓の令嬢、
つまり、身分の高い女性だったということを表すとともに、
「露のようにはかない」という言葉があるように、
不幸な結末も暗示しているのでしょう。道は遠く、夜が更けてきて、
雷雨も激しかったので、鬼のいるところとも知らず、
ぼろぼろの蔵に女を押し込み、男は弓矢を持って戸口を守っていたが、
もう夜が明けると思えるあたりで、鬼が女を一口で食ってしまった。
女は悲鳴を上げたけれど、雷のため聞こえなかった。
夜が明けて蔵を見れば女の姿はなく、
男が地団太を踏んで泣いてもどうしようもなかった。

白玉(露のこと)を「あれは何かと」あなたが聞いたとき、
「露です」と答えて私が消えてしまえばよかったのに
まあこんな内容です。関係ない話ですが、
このあたりの文章は和語中心で訳しやすいです。これが時代が下って、
和漢混交体になるとぐっと難易度があがります。
この段には後半部分があって、女が鬼に食われたように書かれているが、
実は女の兄弟たちによって武力で取り返されてしまったのだという裏話が出てきます。
ただ、それについては物語として無粋だと思うむきもあったのでしょう。
人間がこの話のように、鬼に一口で飲まれたように跡形もなく消えてしまうことを、
「鬼一口」と言うようになったとされます。

さてこの話がどのくらい有名かというと、
ずっと時代が下る江戸時代になって、当ブログでよく登場する絵師、
鳥山石燕が『今昔百鬼拾遺』に妖怪(百鬼)として描いています。
絵(下図)を見れば、人間を跡も残さず一口で食べてしまうのですから
これは巨大な鬼で、画面に収まりきれていません。
例えば血の跡もなければ、食われた人が死んだのかどうかもわからず、
弔いで成仏を願うこともできないのです。

この「鬼一口」について、民族学の岡部隆志氏は、
「戦乱や災害、飢饉などの社会不安の中で頻出する人の死や行方不明を、
異界がこの世に現出する現象として解釈したものであり、
人の体が消えていくことのリアルな実演であり、
この世に現れた鬼が演じてしまうもの」と推測しています。
法の目が行き届いてはおらず、人の命が軽かったであろう昔にあっては、
さもありなんという内容ですね。

さてさて、最近、日本の行方不明者は年間10万人という話を耳にします。
警察庁の資料によると、平成21年度、
警察が捜索願を受理した家出人の総数は81644人ですが、
これは少なくなってきていて、10万人を超えていた年もあるようです。
人口一億を超える中での8万人を多いとみるか少ないとみるかは難しいところですが、
日本の優秀な警察のことですので、
発見率は諸外国よりも高いのではないでしょうか。
この年も、その年度中に所在が確認された家出人は79936人で、
単純に引き算をすれば、未発見者は1700人ほどということになります。
この中には年度を超えて発見された人も多いのでしょう。

今朝もニュースやワイドショーで、山中の墓地に死体を遺棄された女性と、
いまだ所在不明の息子の話をやっていましたが、行方不明者の中には、
犯罪等に巻き込まれ、どこかで命を落としている人もいると思われます。
そういう意味で、戦乱や飢饉の世ではありませんが、
現代においても「鬼一口」は存在するのです。
もしかしたらみなさんの背後にも、大きく口を開けた巨大な鬼がいるのかもしれません。
自分の話にも、人が消えてしまう内容のものは多いですが、
そう考えると怖いなあと思います。

『鬼一口』 鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より





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