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荒覇吐

2015.07.17 (Fri)
怖いっていうかねえ、あんまり怖くはないんでしょうけど、不思議な話ではあります。
自分が子どものころに住んでたのは、東北の某県なんですけど、
海岸沿いの道の山側に、アラハバキ神社ってあったんです。
今もあるんじゃないかなあ。郷里にはしばらく帰ってないけど、
なくなるとも思えないから、あるんでしょう。
ええ、とにかく地域のジイさん、バアさんらの信仰を集めてたんです。
自分らの時代は、月ごとに当番の家が決まっててお祀りをやってました。
これはどうでしょうね。過疎のひどい地域だからなくなったかもしれません。
でね、この神社、正式な御祭神はよくわかんないんですけど、
その辺りでは、蝦夷の英雄を祀ってるって言われてたんです。
あの、アテルイって知ってますか。

漢字で書くと「阿弖流為」らしいんですが、坂上田村麻呂の遠征軍と戦って、
9世紀の初めに京の都、平安京まで連行されて処刑されてますよね。
いや、御祭神はアテルイ本人ではないでしょうけど、その類のね、
大和朝廷に反逆したまつろわぬ民の勇者って言われてました。
本当のところはよくわかんないです。地元の研究家もあきらめたくらいですから。
ああ、すみません余計な話をして。でね、自分は子どものときから、
この神社のある前の道を通るのが苦手だったんですよ。
え、何でかって? いやそれが、吐き気がするんです。
うちはわりとその近くだったし、海岸に出るにはその道が一番早いんです。
で、自分の実家は夏場だけ浜辺で海の家を開いてまして、
小学生の時分から何度か頼まれ物を届けに通ったことがあるんです。

だけど、そのたびになぜか吐き気がしましてね。
いやあ、たまたまってことはないですよ。だって吐き気は必ずしてたから。
ええ、神社の前の辺が一番ひどいんです。実際に吐いたことはないですけど。
口を押さえて、走って通り過ぎたりしてましたね。
でね、吐き気がすることがわかってから、その道は敬遠してたんですよ。
遠回りになるけど、畑の中を突っ切って行く道もあって、
もっぱらそっちを使うようになりました。
・・・それで中学校1年のときだったと思うんですけど、何かの用事があって、
久々にその道を通ったんですよ。何だっけなあ。すみません、よく覚えてないです。
ただ自分としては、前に通ったときから2年近くたってたんで、
まだ吐き気がするかどうか確かめて見たい気もあったんです。

吐き気は・・・やっぱりしました。それも強烈なのが。
神社のある手前100mくらいから、胸の中を棒でかき回されるような感じがして、
「ああ、やっぱダメだ」と思って、口を押さえて走ったんです。
けども、神社の鳥居が見えてきたあたりで限界にきて、
さすがに道路に吐くのはよくないと思って、堤防から顔を出したんです。
それでゲロゲロ~って。いや、汚い話でほんとすみません。
そしたらね、口から何が出てきたと思います?
ミカン・・・これは缶詰のミカンだと思います。それと白い・・・杏仁豆腐。
それがまったく未消化の状態で、コンクリの上に積み重なって・・・
でもね、そんなの食べちゃいないんですよ。
このときは夕食前あたりの時間だったと思うけど、飯前に物を食べると怒られたんです。

それにね、杏仁豆腐なんてそこらじゃ売ってなかったです。
自分も見るのが初めてだったし。見たことがないのに何で杏仁豆腐ってわかったかって?
それそれ、それを今から話します。とにかく吐きながらぽかんとしてました。
今、自分が吐いてるのは何なんだろうって。もちろんミカンはわかりましたけど。
でね、吐きおわって、また小走りに神社から100mほど向こうまで出ると、
吐き気はすっかり消えちゃったんです。ええ、気味が悪かったので、
帰りは別の道を通って家に戻りました。
その日の夕飯は、相も変わらず焼き魚で・・・物の流通がよくない時代でしたので、
おかずは魚、それも漁師が売り物にならないって捨てるようなのを、
もらってきたやつです。肉なんて月に1回食ったかどうか。
すき焼きと肉入りカレーは夢に出てくるような食いもんでしたよ。

で、その夜の10時過ぎでしたね。漁協の寄り合いに出てた親父が帰ってきて、
土産だぞってよこしたのが「杏仁豆腐」だったんです。
中国船の船員から水と交換に大量に分けてもらったって言ってました。
「ここらでは珍しいもんだから、よく味わって食え」って言われたんです。
でもね、ちょっと口に入れた弟が「味がしない」って言い出して。
そしたら母親が、冷蔵庫に入ってた、当時としては贅沢品のミカンの缶詰を開けて・・・
そうですよ。自分が吐いたのとまったく見た目が同んなじのが、
ガラス小鉢に入って出てきたんです。・・・ね、変な話でしょう。
ですけど、まだ続きがあるんです。夕刻のことがあったんで、
食っていいもんかどうか迷ってたら、耳元で声がしたんですよ。
家族の誰とも違う男の声でした。

で、言葉は理解できなかったけど、意味はわかったんです。
ええ、聞いた言葉自体は日本語とは思えない、そこらの方言とも違うものでしたが、
意味だけがスーッと頭に入ってきました。「食え、食わないと死ぬぞ」って・・・
それでまあ、弟もガツガツ食ってたんで、負けずに自分も食べたんです。
そうですねえ、美味いとも思わなかったですけど、
まあキロキロした食感はありました。でね、食い終わった後に親父が、
「近所に配ってもまだだいぶんあるから、少しは荒覇吐さんにお供えするか」
って言い出したんです。まあねえ、粟団子とかは供えてましたから、
似たようなもんだって思ったんじゃないですか。
で、自分に「明日神社まで行ってお供えしてこい」って。怖い親父でしたけど、
いちおう「吐き気がするから嫌だ」って抗弁しました。

そんとき、夕刻に杏仁豆腐を堤防で吐いた話もしたんですが、
「バカバカしい」って一笑されて・・・
翌日ね、学校の帰り。タッパーに入れたミカンと杏仁豆腐を、
おそるおそる神社に持ってったんです。
そしたら、なんでかそのときは吐き気がしなかったんですよ。
お供え持ってくるやつには害を与えないのか、
神様って現金なもんだなって思ったのを覚えてます。
でね、普段は姿を見せない神社の神主が鳥居の下を掃いてまして、
ちょうどいいと思って白紙に包んだタッパーを見せたんです。
「中身は何?」って聞かれたんで、「杏仁豆腐」って答えたら、
驚いた顔をして「ボクんところで、4軒目だよ、それ持ってきたのは」

こう言って、拝殿の前に並んだのを見せられたんですよ・・・
まあねえ、中国船から分けてもらったのが、
親父だけじゃなかったってことなんでしょうが、やっぱ不思議な気がしました。
その後はあんまり神社に寄る機会はなかったですね。
子どもが神輿を担いだりとか、そういう行事は一切ないとこだったんです。
それに自分も弟も、親父の跡をついで漁師にはならず、
高校卒業して町で就職しましたから。そうですねえ、不思議なことは何もなくて、
神社の前で杏仁豆腐を吐いたと思ったのは自分の勘違いかもしんないです。
その夜食ったのは間違いないですけど、それと記憶がごっちゃになってるのかもねえ。
だとしたら、こんな話で謝礼をもらって申しわけないです。
え、参考になった? そうですか、それは何よりですよ。

『悪路王首像』 






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