石燕を読み解く

2015.08.11 (Tue)
鳥山石燕は江戸時代後期の画家、浮世絵師で、妖怪画を数多く描いています。
京極夏彦氏が一連の小説作品で採用したので有名になりました。
当ブログでも、数々使用させていただいているのですが、
当時の浮世絵には絵柄に、判じ物(謎かけ)、洒落、地口(言葉遊び)
などが含まれているものが多いのです。これは幕府の統制のために、
おおっぴらには言えないことを、判じ物として表現するためにも使われていました。
例えば次のアルチンボルド(右図)のような絵(左図)は石燕ではありませんが、



これは地震の神と考えられていた鯰を崇拝する?絵なんですね。
右上に神官の装束を着た鯰がいて、そこから光が差しています。
人の体が集まって顔になった男の着物は、のこぎりやカンナ、鋤などの
大工、土木工具の柄になっていて、男は手に小判百両を持っています。
つまり、地震の神のおかげで、大工や左官などが潤わせてもらっている、
というような意味になっているのです。

石燕の妖怪画もまた例外ではありません。
これと同じような判じ物が石燕の絵にも含まれていて、
大筋でわかるものもありますが、細部はよくわからないものが多いです。
これは当時の流行がそのまま洒落として取り入れられているためで、
時事性の強いものですから、一定の時期が過ぎてしまうと意味不明になってしまうのです。
また、石燕の仲間の洒落本作者や絵師などにしかわからない、
楽屋落ちが含まれている場合もあるようです。
次の絵は「岸涯小僧」という毛だらけの妖怪で、



河童にも似ていますが、頭に皿は見えないようです。
「がんぎ」という言葉にはいろいろな意味があって、
この絵で言えば、船着場における階段状の構造物を「雁木」と言います。
左図のようなものですが、



絵の中にも石段として出てきていますね。また、水木しげる氏は、
口を開けたギザギザの歯の姿が、和式の歯車である「雁木車」(右図)
に似ているところから、「雁木小僧」とも表記すると書いています。
おそらくこの絵の岸辺のギザギザした形や、夜空の星座も、
鳥の雁が渡る形(雁木)に関係があると思われます。
石燕は絵の中の背景や小道具を、テーマと関連した意味のあるものとして
描いている場合が多いんですが、これが難しくてわからない。

「泥田坊」の絵を見てみましょう。これは石燕の創作妖怪とも言われています。



『むかし北国に翁あり。子孫のためにいささかの田地をかひ置きて、
寒暑風雨をさけず時々の耕作おこたらざりしに、この翁死してより、その子、
酒にふけりて農業を事とせず、はてにはこの田地を他人に売りあたへれば、
夜な夜な目の一つある黒きものいでて、田をかへせ、かへせとののしりけり。
これを泥田坊といふとぞ。』

まあ、「田を耕せ(かえせ)」と「田を返せ」がかけられているのはわかります。
あと泥田坊の一つ目は男性性器の隠語で、「田を返せ」には、
「女房の夜の世話をちゃんとしろ」みたいな意味があるのだと言う人もいます。

妖怪研究家の多田克己氏は、
『泥田坊は石燕が言葉遊びから創作したものであり、
新吉原(遊廓)を妖怪の姿として描いたものではないか。
江戸では「北国」(ほっこく)というのは新吉原の異称であり、
吉原田圃(よしわらたんぼ)とも呼ばれていた事をはじめ、
「田を返せ」(田を耕せ)とは隠語で性交の意味、
また「泥」は放蕩の「蕩」(どろ)に通じ、翁が死んだという事は「翁亡くす」転じて、
「置なくす」すなわち「質草を流す」ということに通じる』

このように解説しています。
とにかく、いくらでも深読みが効いてしまうのです。

さて、この話をしているとキリがないので、最も正体不明の妖怪の一つとされる、
「ぬらりひょん」の絵を見てみましょう。



庭先に乗りつけた駕籠から、女の着物を着た老人が出てくるのですが、
ひじょうに特徴的な筋の入った禿頭をしています。
足元の蝋燭と燭台、家の中の物にも何かの意味があるはずですが、わかりません。
ちなみに「妖怪の総大将」と言われるのは、近代に入ってから生まれた俗説のようで、
「いつのまにか家の中に入っていて、ちゃっかり茶などを飲んでいる」というのも、
江戸時代の説話には見られないようです。

自分がありそうだなと思う解釈は、ぬらりひょんの頭がくらげを表しているというもので、
ぬらぬらしたものが海中からひょんと出てくる、
一種の海坊主の仲間であるという説なのですが、
しかし、それだとこの絵との関連はつかみにくいですよね。
海に関するものはまったく出てきてませんから。
あとは、放蕩者のことを「ぬめり者」と言ったりしたそうで、それとの関連。
ハゲ頭なのは、僧侶が医者(似たような髪型)
のふりをして女遊びをすることへの皮肉、という意見もありますがどうでしょうか。

「ぬらりひょん」という名称から思い浮かぶのは『瓢鮎図(ひょうねんず)』です。
これは有名な禅の公案で、室町幕府の第4代将軍、足利義持が考え出したものです。
「瓢箪をもって鯰の頭を押さえるのはいかに」みたいな意味で、
ぬるぬるするものを、つるつるのもので押さえるのはさぞ難しいでしょう。
次の絵は日本の初期水墨画を代表する画僧、如拙の作で国宝です。



もちろんこの絵の存在は石燕も知っていたでしょうし、
何か関係があるような気もします。背景に描かれている笹竹は似ているように思えますが、
それ以上のことはわかりませんね。

この石燕の妖怪画の解釈ですが、誰かやってくれる人はいませんかねえ。
お前がやれ、と言われそうですが、これは近世に関する広範な知識が要求され、
時間がかかります。ライフワークになってしまいそうです。
それに自分は学生時代は考古学専攻でしたし・・・
いずれにしてもこれは、博識の京極氏やお仲間の妖怪研究家の方たちでも、
判読しかねるもののようです。
みなさんも何かご存知のことがあれば、ぜひお便りください。




関連記事
スポンサーサイト

トラックバックURL
http://scoby.blog.fc2.com/tb.php/860-7d1698ee
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する