2015.08.20 (Thu)
大阪で占い師をやっているBという者です。よろしくお願いします。
自分のことではなくて、友人の話なんです。いいですか? ああ、じゃあ。
実はその友人なんですが、約1ヶ月前から失踪してるんです。
いまだに見つかっていません。自分とは大学の同期なんです。学部も専攻も同じ。
彼はその後、関東の大学院で修士の資格をとりましたけどね。
まだ若いので、東京近辺のいくつかの大学の講師を掛け持ちでやってたんです。
ええ、専攻は考古学ですが、小さな大学にはそういうコースのあるところは少ないので、
古代史の講座を持ってました。そういう形だと、大学の先生と言っても、
生活は楽じゃありません。1ヶ月前に自分が東京に行った際に連絡を取り合って、
バーで飲んだんですよ。そのときにこんな話を聞かされまして。
ああそうですね。その友人の名前は真木ということにしておきます。

今ね、少子化でどこの大学も苦しいんですよ。国立でさえ学部の統廃合が進んでて、
まして私立の小さいところは。真木がいる大学の一つも、
財政難のために市民講座を始めたんです。まあ、カルチャースクールみたいなもんです。
古代史の講座を週に120分を2コマやってるって言ってました。
受講者は老人ばかりということでしたが、これはしかたないでしょうね。
邪馬台国ブームというのがあったのは、1970、80年代頃ですか。
松本清張さん、黒岩重吾さんなどの作家も参戦して来ましたし、
手塚治虫氏の『火の鳥』・・・ 在野の古代史家の本もたくさん出ました。
それと、昔の大学や高校を出た文系の人は、今の学生よりずっと、
古文や漢文の読みがしっかりしてる人が多いんですよ。
テーマは「初期ヤマト王権の成立」まあ、3、4世紀ころの話です。

その講座に、皆勤で熱心に通ってこられる男性がいたそうです。
歳は70代後半くらいと言ってました。で、4月から夏休み前までの半期で、
形だけですが小論文の試験もやって、単位も出すんです。
その打ち上げに、ささやかな飲み会を開いたんだそうです。
いやあ、お年寄りはお金がないでしょうから、居酒屋とかではなく学食の一画で。
酒やつまみもほとんどが持ち寄りだったそうで、参加者が12名。
そこで、その老人が15年熟成の大吟醸の冷酒を持って来られたそうで。
1本5万円もするやつですよ。真木は恐縮したそうですが、老人は身なりもよくて、
帰るときには黒塗りの外車が迎えに来たそうです。ま、資産家の人ってことですね。
でね、会は8時頃に終わったそうですが、その後、老人から2次会に誘われたそうです。
うーん、社会人とは言っても学生は学生ですからね。

そういうのにあんまり付き合っちゃいけないんでしょうが、
研究について聞いてほしいことがあるって言われて、行った先が会員制の高級クラブ。
でも、ホステスらは近づけないで、個室で話したって言います。
そういうとこはよくあるらしいですよ。高級料亭もそうですが、内密の商談なんかに使う。
でね、聞いた話というのが「遠津年魚眼眼妙媛」についてです。
これね、「とおつあゆめ まくわしひめ」と読みまして、第10代崇神天皇の皇妃の一人なんです。
「豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)」の母親で、
豊鍬入姫命は初代の伊勢神宮斎宮とも言われる人物・・・ああ、こういう話は端折りますね。
でね、その話というのがなんと、遠津年魚眼眼妙媛の墳墓を見つけたって内容で。
でも、ありえないと思いますでしょう。初期ヤマト王権は基本的に奈良周辺の話ですが、
その墓は関東某所にあるっていう。まあね、こういう人は自分も何人も知ってますが、

独自研究を積み重ねて、それはもう精緻な説を持ってるんです。
ま、世間に受け入れられるかは別としてですが。老人はその墓のある土地を買って、
密かに掘ってるってことでした。これねえ、ヤバイんですよ。文化財保護法にひっかかります。
古代のものとわかってて、民間人が独自の発掘はできません。
でもね、老人が言うには「あの有名な高松塚古墳は、生姜貯蔵用の穴を掘って見つかったものだし、
 中国の兵馬俑だって井戸掘りの際に出てきた。しかも高松塚なんかは行政に報告しても、
 地域の有志が働きかけしないと、発掘もなく放置されたままだった」
確かにそうなんですが、その頃とは法律も変わってるし。とにかく一度来て見てくれ、
という老人の頼みを断りきれず、翌日の午後、老人が外車で迎えにきまして、
関東某県の郊外まで行ったんです。川のそばの土地でかなりの広さだったってことでした。
真木としては、現場を一度見てから老人に行政への報告を勧めるつもりだったんです。

でね、着いた先は住宅地からは離れてまして、地盤も軟弱。
川は長い間に頻繁に流れを変えているわけだし、水田跡とかならともかく、
墳墓でそんなに古いものがあるとは思ってなかったそうです。それに関東ですからねえ。
古墳時代は遅く始まって、長く続いてるんです。現場は、古墳というには高さがなく、
何かの工事をするって名目なんでしょう。防音パネルが張り巡らされていて。
「こんな土地、と思うだろうが、ここは戦時中は高射砲台地があったところで、
 その後進駐軍によって平削されているんだよ」老人がこう説明し、
鉄の扉を鍵で開けて中に入っていきました。車の運転手の他に人はいなかったそうです。
中には・・・奈良の石舞台って知ってますか。ええそう、日本最大の方墳で、
土が失われ巨大な横穴式石室が露出してますね。蘇我馬子の墓とも言われてます。
あれほどの規模ではなかったんですが、やはりむき出しの横穴式石室でした。

ただ真木が一見したところでは、せいぜい6世紀くらいだと感じたそうです。
横穴は通路を塞ぐ石が除かれ、老人が入ってスイッチを押すと、
中に明かりがついたそうです。電気を引いて投光機を設置してあったんでしょう。
老人を先にして羨道を進むと、すぐにさして広くはない玄室に出て・・・
これはよくある関東の古墳だろうと思ったそうですが、2つ異質な点があったそうです。
一つは玄室の壁に不可思議な記号があったことです。・・・自分も実物は見ていないので、
上手く説明できませんが、ほら、数を記録するときに「正」の字を書くことがあるでしょう。
あれは5を数えるものですが、それと同じ意図で刻まれたと思われる亀甲文字のような記号。
それが20ちかくあったそうです。数としては99。いや、刻み目は古いものに見えたそうですよ。
また、壁画はなかったんですが、奇妙な傷のような跡が無数に壁面にあったそうです。
あと中央に石棺があったんですが、この時代だと、組み合わせ式の箱型のものが多いんです。

ところがそれは一枚一枚が非常に薄い石でできていて、しかも材質が瑪瑙のような光沢を持ってた。
一種のオーパーツですね。当時ではありえない加工技術です。大きさは2mに1mほどで、
上蓋はなく、工事に使うトタン板が被せられていたんです。
老人が無言でその蓋をのけ、すると中は井戸のような深さで、老人が投光機を下ろしても、
底が見えないほどだったということです。ええ、これは古代のものだとしたら、
非常に特異ですよ。だって巨大な一枚板が4枚、ずっと底まで埋まってるってことになるでしょう。
回りの石が濡れていたので、友人がそのことを問うと、
水は普段は口いっぱいまできてるということでした。午前中にポンプで抜いたのだそうです。
真木が老人にことわって、井戸の底に小さな石を落とすと、いつまでも音はせず、
20秒ほどしてからバシャーンという大きな水音。
それからギャーッという、女性の悲鳴のような音が聞こえたそうです。

ここまでが、真木からそのときに聞いた話なんですよ。
行政に連絡するよう老人を説得したのかって言ったら、それには答えず・・・
いやあ、もしかしたら、独自の発掘調査を狙っていたのかもしれません。
老人には財力があるようだし、真木には知識がある。
地方の教育委員会にいいとこどりさせることはないだろうって考えても、
そう不思議には思えません。特にその老人のほうは、
おそらく重機を入れて土を剥がしたんでしょうから、そこまでやったら毒食えば皿までって心境で。
とにかくね、自分と飲んだ2日後から、真木の連絡が絶えてしまって。
ええ、奥さんから自分のところに連絡があったんですよ。
真木んところはまだ子どもも小さいんですよ。警察にも連絡しまして、
いちおう肩書は大学の先生ですから、それなりに捜査してもらえたんですけど見つからず。

まあ自分も、友だちのことですから、その県には何度も行きまして、
警察にもこの話したんです。ところが、大学の受講者名簿からはその老人の手がかりなし。
偽名、偽住所だったらしいんです。保険証とか提示してもらってるはずですが、
それも偽造だったんでしょうか。だとしたらかなり大掛かりっていうか、
最初から真木をはめるのをねらってたって線もあるのかと。どうしようもないので、
真木の話に出てきた地形のところを調べてみたんです。郊外の川のそばで、
戦争中に高射砲台地として使われてた・・・でも、太平洋戦争中の資料ってほとんど残ってないんです。
でね、遺跡地図を調べてあちこち歩き回って。、地元の老人に高射砲台地の話をしたら、
それらしい場所はありました。けどそこには真新しい神社が建ってたんです。
神社と言ってはいけませんね。神道系の新興宗教の施設だと思いました。鎖を回して立入禁止でしたが、
遠くから見たら、拝殿らしき建物の正面に顕額があり、そこに「百」という文字が・・・





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