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手長足長

2015.08.25 (Tue)
ああ、ここで話せばいいんですか。介助、ありがとうございました。
ご覧のように車イスですので、座ったままでお話させていただきます。
頸髄損傷による麻痺で、交通事故でした。
まず、その話からさせていただきます。
2年前、夫と離婚しまして。これは夫が麻薬の密輸で実刑を受けたためです。
3歳の息子は私が引き取ることになり、
もちろん夫からの養育費はまったく入りませんので、私が保険セールスで働き、
息子は保育園に預けていました。ある日、もう夜に近い時間帯でしたが、
息子を園に車で迎えに行く途中で、黄色信号で止まったとき、
後ろにいた大型トラックに追突されたのです。
そのときのことはほとんど記憶がありません。

長い間意識を失っていて、ところどころ断片的に覚えていることがあるくらいです。
病院につき添ったのは私の母だけで、息子をのぞけばそれが唯一の身内でした。
治療の間、危篤状態に陥ったことが何度かあったそうですが、
よかったのか悪かったのか、その度に持ち直しまして、
完全に意識を戻したのが、事故から1ヶ月以上たってからのことでした。
先ほど申しましたように、頚椎の損傷で首から下がまるで動かない状態になっていたのです。
ええ、そのことがわかったときには絶望しました。
むしろそのまま死んでしまったほうがとよかった、と何度も思いました。
でも、母が息子を病院に連れてきてくれ、その顔を見るとやはり生きなくてはと思う、
その繰り返しだったんです。最初、私ができたことは、話をすること、自力で呼吸すること、
食べ物を飲み込むこと・・・不完全性の四肢麻痺という診断でした。

医師には回復の可能性が見えていたのか、何度も手術を繰り返し、
少しずつ、上半身を動かすことができるようになってきました。
ええ、ベッドで寝たまま腕をサイドテーブルにのせる、指先をわずかに動かす・・・
それくらいのことです。ただ、先生がたは私の気の持ちようと、
努力次第では、もっと回復すると思われているようでした。
約半年後、最後の手術を経て、リハビリが始まりました。
訓練室に通うことになったのです。
これは、本当につらいもので、とても想像はできないと思います。
まず腕と手を動かすことから始めたんですが、四角い積み木の上に三角のをのせる。
こんな1歳児にもできるようなことが、できないのです。
何度も泣き、その度に、やはり事故で死んでいたほうが・・・という思いが蘇ってきました。

訓練室の担当医は、木島先生という女性の方でしたが、
男まさりというか、男性よりも厳しいんじゃないかと思える方でした。
体格も普通の男性よりずっと大きく、リハビリが始まればいつも傍らにいて、
視線を外すことはありませんでした。ええ、陰では鬼婆と呼ばれているような方だったんです。
何度も怒鳴られ、その度に涙がこぼれました。
もう体はこれ以上動かなくてもいいから、退院したい、何度もそう思いました。
私が耐えることができたのには、2つの原因があったと思います。
一つは、それまでできなかったことができるようになったときの喜びです。
先ほどお話した積み木を積む訓練、これが40日かかってできたときは、
自分の目が信じられませんでした。そしてこれがきっかけとなったのか、
できることがだんだんに増えていったのです。

私は学生時代剣道部に所属していまして、中学校のとき、
周囲はほとんどが道場から来た経験者で、何もできないのは私だけでしたが、
それがだんだんに技を覚えていって、
何人もの同輩を追い越して団体戦にでることができるようになった、
そのときの体験と重なるものがあったんです。
もう一つは、他にリハビリに来られる患者さんの存在です。
母よりも歳が上のお年寄りが、泣きながらプールを歩いている姿。
私と同じく木島先生が担当されている小学2年の女の子が、
怒鳴られながら補助具を用いて歩いているときの顔。
自分も頑張らなければと、どれほど励まされたかわかりません。
それともちろん、ときおり見舞いに来てくれる母と息子です。

もう一度息子を自分の腕で抱きたい。
この思いがなかったら途中で挫折してしまっていたかもしれませんね。
あ、すみません。私の病気のことばかりで、ちっとも怖い話になっていないですね。
リハビリは午前中に行っていましたが、
タオルを訓練室に忘れてきてしまったのに気がつきました。
看護師さんに言えばとってきてくれるのですが、それも訓練の一つと考え、
車イスを押してもらって、人気のなくなった訓練室に戻ることにしたんです。
ドアを開けてもらって、私は車イスの上からタオルを探しましたら、
どういうわけか、私は近寄ることのないプールの手すりにかかっているのが見つかったんです。
もしかしたら、他の患者さんがかけてくれたのかもしれません。
手すり際まで車イスを押してもらい、全身の力を使ってタオルを膝の上に下ろしました。

これだけでも5分以上かかるのです。そのとき、波一つないプールの上に、
何かが浮かんでいるのに気がついたんです。最初の印象は「水すまし」でした。
でも、あの水辺の昆虫よりはずっと大きく、手のひらくらいもあるものが、
10いくつも水面にあったのです。「あれ、何でしょうか?」看護師さんに聞きましたが、
何のことを言っているかわからない様子でした。
「プールに浮かんでいる、生き物みたいなあれ」 「えー何もありませんよ」
見えないはずはない、と思ったんですが、それらはまったく動かず、
私の幻覚なのかもしれないと考え始めたとき、水すましたちは一斉に、
プールの中央に集まり始めたんです。「さあ、もう行きましょう」
看護師さんが車イスを方向転換させようとしたとき、「ちょっと待って」
私はそう言って、イスのタイヤの上に置いた手に力を込めました。

集まってきた水すましたちは、10数mのプールの中央でくっつき、重なり合い、
一つになっていったんです。長い長い骨ばった2本の手、それと同じくらい長い2本の足。
そうですね、一本が2m以上あったと思います。
それが、あの「丼」という字みたいに重なりあって・・・普通と同じ大きさの手のひらを、
握ったり閉じたり、足は足で水をかくような動きをしたり・・・
丼という字の真ん中にあたる部分は白くぼんやりとしていましたが、
そこにいくつもの顔が浮かんでは消え、浮かんでは消えして。
見たことのない顔ばかりで、みな苦しそうに表情を歪めていて、
リハビリをしているときの顔だとわかりました。
そのうちに、一つだけ見たことがある顔が出てきました。私がリハビリを始めた頃にいた、
おじいさんの顔です。でもその方はだいぶよくなって、自力で歩いて退院なさったはずです。

「あれ・・・見えないんですか?本当に?」重ねて看護師さんに聞いても、
「何もありませんよ」・・・
きっとわたしが幻覚を見たのだと思っていたはずです。おそらく主治医の先生にそういう報告も。
その後、精神的な検査がありましたから(笑)
でも、幻覚ではなかったんです。ええ、リハビリのときに、そのことを木島先生に話したんです。
木島先生は「おや」という顔をなさいましたが、すぐに笑って、
「あれが見えたんですか。そうですか、それはよかった」
「よかったって?」 「私もね最初に見たときは驚いたんですけど、
 ここの訓練室にいるものなんです。リハビリに来られているみなさんが作り出したというか」
「どういうことですか?」 「ほら、あなたもそうだけど、ずいぶん苦しいことを、
 泣きながらやってるでしょう。そのときの気持ちが凝り固まってできたものじゃないかな」

「・・・人の念ということですか」 「まあ、そうね」
「それで、よかったっていうのは?」 「いえね、あれを見た患者さんは、間違いなく、
 急速な回復が見られるんです。だから悪いものではないと考えています」
それからは訓練室に来るたび、それの姿を探しましたが、二度目は見ていません。
私は、腕に入る力がだんだんに強くなるのを感じていました。
そしてある日、ベッドから車イスに自力で乗り移ることができたんです。
それだけではなく、ハンドリムを回して動かすことができるようになってきています。
それと、つい先日ですが、足の指が少しだけ動いたんです。
ええ、希望が生まれてきました。
立って、歩く、希望です。それにはどのくらいの時間がかかるかわかりませんが、
あきらめません。・・・聞いていただいて、ありがとうございました。





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