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年髪様の話

2015.09.05 (Sat)
これは5年前、88歳で亡くなった祖母から聞いた話です。
祖母は大正の終わりごろの生まれで、戦争が終わるまである村で過ごし、
その後、市部のほうへ出てきたんです。大陸での戦火が激しくなる昭和10年代以前は、
比較的裕福で、のどかな村だったということです。
また、そこには曹洞宗のお寺があり、夏休みには子どものほとんどがお寺に集められて、
2日間の座禅講を行ったそうです。ただし男女は別々の日で、女の子は全部で15人ほど。
これは学校の行事ではなく、その寺のご住職が善意で実施していたもののようです。
メインは座禅でしたが、そこは子どものことであり、
長い時間はとうていもちません。それで、途中でお習字をしたり、
墓所の草むしりをしたり、子ども向けに易しくした法話を聞かされたりしたということでした。
まあ、田舎にあっては楽しい行事と呼べるものですが、怖いことが2つあったそうです。

その一つは、法話の途中で六道絵を見せられることで、
あの餓鬼道、畜生道、地獄道、天道・・・という。その中でも、
やはり子ども心に強烈に印象に残るのは地獄絵で、毎年のことでも、
6年生になっても、火で焼かれたり鬼に煮え湯を飲まされる人の姿は、やはり怖ろしかったそうです。
もう一つは、夜に行われる肝試しです。夜は広い本堂の板の間のあちこちに、
各家から持ち寄った蚊帳を吊って寝るのですが、その前に行われるのです。
まず、夕餉をいただいた後の6時ころに、みなが本堂に集められて怖い話を聞かされます。
これはまさかご住職がするわけにはいかないので、
村に住んでいる退職した小学校の先生の役目でした。元とはいえ学校の先生ですから、
そうおどろおどろしい話はしません。そのあたりに伝わる怪しの話が中心で、
毎年中身は違っていたそうです。これからお話するのは、祖母が5年生のときのことです。

その年のお話は「年神様」についてのものでしたが、
他の地域で言われている、正月にやってくる神様とはかなり違っていました。
祖母の話では判然としなかったのですが、
もしかしたら「年髪様」という字を書いたのかもしれません。
そこのお寺は、神仏習合の名残があって、お寺の裏山に50段ほどの石段が続き、
それを上ると小さなお社が建っていたそうです。子どもたちは話を聞き終わると、
年長の子と年下の子、例えば6先生と1年生という具合でペアをつくり、
ロウソクを一本持たされて、手をつないで石段を上っていきます。
そうして、お社の前のロウソク立てで燃えている火をそれに移し、お供えしてくる。
これだけのことで、時間にすれば1ペア10分もかからなかっただろうということでしたが、
それはそれは怖かったそうです。

というのも、その年のお話は、山の上のお社に関係したものだったからです。
こんな内容でした。・・・夜になってから、そこのお社にお参りする場合、
行きは何も問題ないが、帰りに石段を下りるときは、
どんな気配を感じたとしても、下りきるまで絶対に後ろを見てはならない。
なぜなら、年髪様が後をついてこられるからです。
その姿は、顔も体もない、ただ長い髪だけが宙に浮き、漂っているというものでした。
・・・これだけなら、どこにでもありがちな話なのですが、
わたしが変わってるなと思ったのは、もしもふり向いてしまった後のことです。
そういう者は、宙に漂っている髪が顔におおい被さってきて、
なんと寿命を吸われてしまうということでしたが、死ぬまでではありません。
運がよければ3年、長いと8年、寿命が短くなってしまうのです。

ええ、口もないその髪のかたまりが「◯年いただき申した」と女の声でささやくんだそうです。
これを聞かされてから、夜のお社に行かされるのはたまったものではないでしょう。
でも、そこは事故が起こってはいけませんし、まして火を使うのですから、
石段の途中の藪や山の上のお社の陰に、子どもたちの父母が数人潜んでいて、
危ないことがないか見張っていたということでした。
まあ大人は大人で、子どもたちをだしにした納涼の楽しみごとであったのかもしれません。
祖母は2番目で、2年生の子とペアにさせられました。
その子は無邪気にはしゃいでいて、これは歳上の自分が怖がってるところは見せられない、
と思ったそうです。祖母たちが石段前の鳥居の横に着いたとき、
1番目の子らのタタタという足音が聞こえ、すぐにその子らが駆け下りてきました。
祖母は世話役の大人から真新しいロウソクを渡され、

左手に握り、右手は年下の子の手を取って、そろそろと石段を上っていきました。
真っ暗ということはなかったです。お社の前には篝火があり、
その灯りが石段まで届いていたのですね。
祖母は「怖くない、何もいない」と心のなかで唱えながら、急がぬように段を登っていきました、
それでもわずかの時間でお社に着き、すでにロウソク立てで燃えているロウソクから火を移し、
落ちぬようにしっかりと立て、また手をつないでそろそろと戻ってきたのです。
本来なら、行きよりも帰りのほうが怖くないはずです。
上りではお社は見えませんが、下りは登り口の鳥居がまるまる見えましたから。
でも、年髪様がついてくるのはその下りなのです。
「急がぬよう、急がぬよう」わざとゆっくりと下って、踊り場のようになった場所をこえ、
半分を過ぎたあたりでです。「後ろに何かいるよ」と年下の子が緊張した声で言いました。

そう言われればそんな気もしましたが、ふり向いてはいけない。
そう考えて、握った手に力を込めたとき、ばっと突然、
祖母の顔の横に黒い髪の毛のかたまりが現れました。「ぎゃー」と祖母は叫び、
年下の子も叫びました。そのまま走り下りようとしたところ、
足がもつれて2人一緒に転んでしまいました。急な石段ではないので、
何段も落ちるということはなく、ケガもしなかったのですが、
着ていた浴衣が汚れてしまいました。すぐに「何やってるお前ら!」という男の怒鳴り声、
それから「大丈夫だ、〇〇子、動くなよ」と女の人の声がして、
祖母と年下の子のところに大人の女の人が駆け寄ってきました。
ええ、隠れていた大人の人たちですね。すぐに藪の中から、大人の男が、
男の子ども2人の首根っこを押さえて現れたんだそうです。

一人の男の子の手には竹の棒が握られ、その先には糸がついていて、
さらにその糸には鬘(かつら)のようなものが・・・ 
ええ、どちらも祖母と同じ小学校の6年生の男子でした。
女の子たちの肝試しでおどかしてやろうと思ってそっと家を抜け出し、
夕刻から潜んでいたものの、大人もいるのでタイミングがつかめず、
一番目のペアには何もできずに、祖母たちが戻ってくるときに初めて、
通り過ぎた後ろに鬘を垂らしたのです。
まあねえ、子どものイタズラなんでしょうが、石段から転落するおそれもありますし、
その子らは寺に連れて行かれて、大人たちに囲まれて大目玉を食らったそうです。
まあ、こういう話で、ええ、これだけなら祖母らは怖かったでしょうが、
怪異は何も起きてはいません。ですが、この話にはなんとも言えない後日談があるんですよ。

いよいよ時局が押し詰まって、大陸での戦いが激しくなり、
その男の子らも他の子とともに出征することになりました。
でね、イタズラをした子の一人が出征する数日前に祖母の家の裏の畑に来ていて、
祖母が用事で出てくると、やや離れたところから大声で、
「俺、戦争に行ったら帰ってこられんから。あのお社の肝試しの後、年髪様にそう言われた」
これだけを叫んで駆け去っていったんだそうです。
ええ、その子は南方に行って帰ってきませんでした。
輸送艦に乗っているところを撃沈されたので遺品もなしです。
もう一人のイタズラした子も南方のジャングルで戦死。
もちろん村からの出征者で、亡くなったのはその子らだけではないのですが、
このときのことはずっとずっと、祖母の心に残ったそうです・・・ 

あじゃじゃきうあ



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