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彼方からの声

2015.09.07 (Mon)


昨日の続きみたいなものです。
ちょっと思わせぶりな書き方をしてしまったので、やってしまいたいと思いますが、
この内容は、ちゃんと話をすれば本一冊以上の分量になってしまうため、
できるだけかいつまんで概略だけ記したいと思います。
「青ひげ」の話は、仏のシャルル・ペロー作の童話で有名になりましたが、
ほぼ同じ内容のものが、『グリム童話』の初版に収録されています。
ペローの童話出版が17世紀末、グリム童話は19世紀の初頭ですから、
ペローのほうが古いものです。なお、グリム童話ではこの話は2版以降では削除されます。

こんなお話です。
『金持ちの領主は、その風貌から青ひげと呼ばれていた。彼は何度も結婚しているものの、
その妻はすべて行方不明になっていた。青ひげはある兄弟の美人の妹娘に求婚し、
周囲はとめたが、ついに結婚が行われた。しばらく後、
長期の外出をしなくてはならなくなった青ひげは、新妻に鍵束を渡し、
「どこにでも入っていいが、この鍵束の中の小さな鍵の小部屋にだけは絶対に入るな」
と言い残して出ていった。しかし妻は好奇心に負け、小部屋を開けてしまう。
そこに見たものは、血の海に沈んだ先妻の死体であった。

動揺した妻は小部屋の鍵を血だまりに落としてしまう。その血は部屋の扉を閉めた後、
魔法のため、いくら洗ってもとれなかった。
やがて帰ってきた青ひげは妻に鍵束を出させたが、小部屋の鍵がない。
無理に出させると血がついていたため、妻が見てしまったことを知った青ひげは、
新妻も殺そうとする。お祈りをしたいなどと、あれこれ妻が時間を引き延ばしているうち、
間一髪兄たちがやってきて青ひげを殺してしまう。
妻は青ひげの莫大な財産を受け継ぎ幸せに暮らした。』

この話のモデルであると言われるのが、フランスの軍人・貴族であるジル・ド・レイ、
あるいは英のヘンリー8世です。ヘンリー8世については前に少し書きましたが、
16世紀のイングランド王で、6人の妻と結婚し、そのうち2人を刑死させています。
離婚のためカトリック教会から破門され、英国教会をうちたてたことで知られます。

今回は、ジル・ド・レイ(ジルドレ)のほうを取り上げます。
15世紀前半の人で、フランス王国ブルターニュ地方ナントの貴族、男爵、フランス元帥。
幼くして両親を戦禍で失い、祖父に引き取られます。
ここで少年愛の悪癖が身についたという説もありますが、定かではないようです。
領地を広げるために、近隣の領主の息女と政略結婚させられましたが、
妻はほったらかしで、狩りなどに明け暮れていました。
成人して軍人となり、百年戦争のオルレアン包囲戦で、
ジャンヌ・ダルクに協力して奮戦に継ぐ奮戦、「救国の英雄」と呼ばれ、
地方軍人としてはほぼ最高位である元帥にまで上り詰めたのです。

ジャンヌ・ダルクについては、みなさんご存知でしょうが少し書いておきます。
「オルレアンの乙女」とも呼ばれ、農夫の娘として生まれたジャンヌは、
12歳頃に神の啓示を受けます。神の声を聴いたと公言するジャンヌは17歳にして、
騎士姿でまだ即位前であったシャルル7世に謁見し、宗教諮問を受けます。
ここで認められたジャンヌは従軍を許可され、
その後はイングランドとの百年戦争の重要な戦いで連戦連勝、
はじめはジャンヌの配下に入るのを拒んでいた将軍らも従うようになり、
シャルル7世の戴冠に貢献することになります。

ジャンヌの軍事指揮能力については諸説ありますが、
男装して甲冑を身につけ先頭で旗を持つ姿が軍を鼓舞し、
神の意志と力が自分たちの元にあると思わせる効果は絶大だったのでしょう。
その後ジャンヌはブルゴーニュ公国軍の捕虜となり、
シャルル7世が身代金を支払わなかったため、イングランド側へ引き渡されます。
異端審問にかけられ、異端の判決を受けたジャンヌは19歳で火刑に処せられます。

ここで、あまり知られていないことは、ジャンヌが最終的に異端とされたのは、
「一度禁じられた男装をふたたび行った」とする罪状なのです。
異端審問に対する不服従の罪といってもよいものです。
ま、イングランドに歯向かったからという罪状はつけようがないでしょうが。
火刑になったのは、魔女に対する刑罰と同様で、
遺骸をなくして復活を禁じるという意味もあります。
実は生きていたという流言を封じるため、黒焦げになったジャンヌの遺体は公衆に晒され、
さらに灰になるまで焼かれてセーヌ川に流されました。

この後も100年戦争は文字どおりまだまだ続くのですが、
ジャンヌの死の後、領地に戻ったジル・ド・レイは、
黒魔術と錬金術に耽溺して財産を浪費、
さらに領地の少年を誘拐しては取り巻きと惨殺する行為を繰り返します。
その数は150人とも800人とも1500人とも言われます。

このジル・ド・レイを扱った文学作品で、もっとも詳しくかつ有名なのが、
仏の19世紀末のデカダン作家であるカルル・ユイスマンスの『彼方』で、
悪魔主義をテーマとしたこの著作は、
自分のようなオカルティストには必読ものの一冊とも言われています。
この本では、ジル・ド・レイの凶行に多くのページが割かれており、それによれば、
少年の首を生きながら斬る、少年を吊り下げておき、助けにきたふりをして介抱しながら、
一方で少年の体を鋭利な刃物で切り裂き、少年がふたたび絶望に陥るのを楽しむ・・・
このような状況であったようです。

ジル・ド・レイは領地争いから告発を受け、公開裁判ですべての罪状を明らかにされ、
絞首刑の後、遺体を火葬されて36歳で亡くなります。
すべてを自分から告白し、まるで刑死を待つかのような態度であったとも言われます。
いちおうレイの名誉のために述べておけば、
この裁判は領地争いの政敵によって支配されたものでした。

さて、ジル・ド・レイがこのような狂気にとり憑かれたのは、
生来の性癖、錬金術や黒魔術の流行などの時代性もあったでしょうが、
やはり、ジャンヌの死が大きなきっかけであったと考える研究者が多いのです。
ジャンヌを火刑としたカトリック世界への絶望、神の不在を感じたということでしょう。
また少年愛については、つねに男装していたジャンヌと、
行動をともにしていたことに関係がある、と見るのはうがちすぎでしょうか。
ジャンヌの名誉は、1456年に復権裁判法廷が無罪を宣告して回復され、
1920年、ローマ教皇ベネディクトゥス15世によって聖人として列せられることになります。
一方ジル・ド・レイは、西欧社会では、怖ろしい大量殺人鬼の典型として、
現代まで語り継がれてきているわけです。

さてさて、ジャンヌは「神の声を聴いた者」です。
また、ユイスマンスの『彼方』という作品題名は、
ジル・ド・レイのような所業は人間にできることではなく、
彼方からの声にしたがって行われた、という解釈でつけられているようです。
では、ジル・ド・レイが聴いたのは悪魔の声だったのでしょうか。

最後に、青ひげの童話は妻殺しの話ですので、少年を殺し続けたジル・ド・レイとは、
その点が異なっています。ヘンリー8世の逸話も取り込まれているのかもしれませんし、
他の暴虐な領主や貴族の伝承も混じっているのかもしれません。
童話の舞台になっている中世西欧社会は、
調べていくと怖ろしいものがたくさん出てくる世界なんですね。






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コメント
bigbossmanさん、こんにちは!!^^

おもしかったっす!!^^怖いですが、この世界史があるから今の私がある(?)のだと感じました。理由:わかりません^^;が、ジャンヌ・ダルクやグリム童話を知っている為。m(__;m
くわがたお | 2015.09.10 12:50 | 編集
コメントありがとうございます
歴史の中でも特に変な部分を選んで取り上げていこうと思ってます
今後ともよろしくお願いします
bigbossman | 2015.09.10 22:08 | 編集
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