呪術的な日本

2015.09.15 (Tue)
* 今日は怖い話ではありません。
前にも1度取り上げたことがある、井沢元彦氏の『逆説の日本史』シリーズ
についての話です。現在は「幕末年代史編1 - 黒船来航と開国交渉の謎」
まで刊行されていて、総数400万部近いベストセラーになっているそうですが、
今夜はこの話題です。

Wikiによれば、
『日本の歴史を創るのは「言霊、和、怨霊、穢れ」への無意識の信仰に基づく
非論理的な日本人の行動と分析し、史料絶対主義を排し、その書かれた、
書かれなかった背景をも深く考察すべきこと、
時代で常識とされていたことは記録されなかったこと、および通史的考察の重要性を強調し、
シリーズ全体を貫くテーマとしている。』

このように特徴がまとめられています。
自分は歴史好きなので、全巻読ませていただいてますが、
内容には共感する部分もあれば、「いくらなんでもそれはないだろう」
と反発する部分もあり、研究としてはともかく、読み物としては理想的とも言えます。

井沢氏は、現在のアカデミズムによる歴史研究の欠点として、
① 日本史の呪術的側面の無視・軽視
② 史料至上主義
③ 権威主義
の3点をあげておられます。

①については、全面的にというわけではありませんが、それなりに同意できますね。
日本の歴史は、呪術という点からとらえれば違った面が見えてくるのは確かでしょう。
例はいくらでもあげることができそうですが、
例えば、中国の正史の一つある『隋書』 これは聖徳太子?が国書に、
「日出ずるところの天子、書を日沒するところの天子に致す。恙なきや。」
と書いたということが記されていて有名ですが、
当時の日本の政治について次のような記述も出てきます。
『上(煬帝)は役人に日本の風俗を尋ねさせた。使者が言うには、倭王は天を以て兄となし、
日を以て弟となす。天が未だ明けない時、出でて聴政し、結跏趺坐し、
日が昇ればすなわち政務を停め、我が弟に委ねるという。
高祖が曰く「これはとても道理ではない」ここに於いて訓令でこれを改めさせる。』


つまり当時の日本の大王は、太陽を弟と見なしていたので、
夜が明けない暗いうちは自分が政務をとり、太陽が昇ると、
弟が出てきたので仕事をやめ、世の中のことをまかせて(たぶん)寝てしまう。
これを聞いた煬帝はあきれて「とんでもない話だ」となり、
上記の「日出ずる」の部分の無礼をも合わせて糺すために、
裴世清という人を使者として日本に派遣するわけです。

この後、使者であった小野妹子が、隋からの返書を、
(たぶん叱りつけるような、朝廷には見せられない内容のため、わざと?)
紛失するというゴタゴタもあり、古代史の中でも面白い部分です。
確かにこのようなやりかたで政治を行っていたなら、現代人の目からは噴飯ものです。
『隋書倭国伝』では、当時の日本の風俗・習慣が詳しく記され、
おそらく政治についての部分もほぼ正しいだろうと思われますが、
こういうことは教科書にはあまり出てきません。600年頃の話です。

また、平安時代の陰陽道による「物忌み、方違え」などもあります。
これは天皇も含めた当時の貴族の生活習慣で、
物忌みは、日が悪いので何もしないで家にこもることで、
方違えは、方角が悪いので一旦別の場所に出かけてから本来行きたかった場所へ行く、
というものです。このために何日間か、場合によっては1ヶ月以上もつぶれてしまい、
政治を行うにはたいへんに効率が悪いわけですが、
逆に言えば当時の政治は、そんなことをしていてもできてしまうようなレベルであった、
とも見ることができそうです。

また、これは『逆説の日本史 - 平安建都と万葉集の謎』にも出てくるのですが、
平安京への遷都は、早良皇太子や井上内親王などの怨霊の祟りを怖れたためである、
という論が展開されていて、それは確かに間違いではないと思いますが、
自分としては、それがすべてであると見るのもどうかなあという気がします。
藤原氏による他氏排斥のため、応天門の変や昌泰の変(道真の左遷)が起こり、
菅原道真をはじめとする敗者が怨霊化して、
後に神と祀られたりすることになるわけですが、いくら怨霊が暴れたからといって、
排斥された氏族が政治の中心に返り咲いているということもありません。

権勢欲や力による支配など、人間の基本的な部分は、
現代と古代でそう変わるわけではないでしょう。
確かに歴史における呪術的な側面は、井沢氏の言うように、
教科書に書かれる歴史では軽視されていると思いますが、
それだけで世の中が動いているわけでも、もちろんないのです。

②の史料至上主義について
これはしかたのないことだと思いますね。史料、つまり根拠がなくてもいい、
情況証拠でいいというなら、何だって言えてしまうことにならないでしょうか。
井沢氏の「時代で常識とされていたことは記録されなかった」という考え方も、
歴史を面白おかしく語るための方便と見られてもしかたのない部分もあると思います。
歴史における実証主義というのは、戦前・戦中の皇国史観の反省をもとに、
現在の日本の史学が柱として掲げるものであり、
楠木正成や足利尊氏などの人物像が史料によって見直されてきています。
この方向性を変えていくことは退歩ではないかと自分は考えます。

③の権威主義、例えば大学で学んだ恩師の〇〇先生がこういう説だから、
それに逆らってはいけない、将来の出世に差し支える、
などということは自分が専攻した考古学の分野でもあり、
そのために弥生時代の年代観がずいぶん長い間混乱していたのですが・・・
歯切れは悪いですが、そのようなことはだんだんになくなってきていると思いますよ。






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