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地下食堂街

2015.10.06 (Tue)
10年ほど前のことです。僕はそのとき小学5年生でした。
まあ子どもの頃の記憶ですので、これからさせていただく話もどこまで正確かはわかりません。
もしかしたら、全体が白昼夢、あるいは僕の頭の中だけの想像の産物かもしれないんです。
僕の人生のうちでも、いろいろと環境の変化があった時期ですから。
そのことはあらかじめお断りさせておいていただきます。
場所は中国のある都市です。当時、化学技術者だった父が、
新しく立ち上げた日中の化学プラントの技師として、本社から出向していたんです。
もちろん単身赴任です。それでその年、父が向こうに渡ってから2年目のことでしたが、
初めて、母と一緒にそこを訪れたんです。
ええ、海外旅行どころか、飛行機に乗るのも初めてでしたよ。
でもね、この旅行は、何というかいい意味のものではなかったんです。

どういうことかといいますと、そのとき父母の離婚話が進んでまして、
もうどうにもならない段階まで来ていたんですね。
原因は父の浮気です。ええ、よくある話で、父の駐在中に現地の女性と関係ができ、
その女性が妊娠までしまったんです。その子は、僕にとっては妹ということになるでしょうが、
会ったことはありません。産まれてすぐに死んでしまったようで、
そのあたりの事情もよくわからないんです。
でねえ、その旅行中、観光などをした思い出はないんです。
おそらく父と母が弁護士などを中に入れて話し合っていたんでしょう。
ずっとホテルの部屋にいたという記憶しか残っていません。退屈でしたよ。
テレビをつけても、日本とはまったく違うおかしな番組しかやってませんでしたし、
母が外出している間は、部屋の外に出ることを禁じられていましたから。

ただね、僕は当時から、少しなら中国語がわかったんです。
というのは、母はいわゆる在日中国人の家の生まれで、中国国籍だったんです。
それが日本人の父と結婚しまして、そのときに国籍が変更されたんですね。
だから、幼い時から母や母の親戚から少しずつ中国語を教えられていたんです。
で、1週間ほどかかったその旅行が終わる2日前のことでした。
父と母と僕の3人で、食事に行ったんです。父の顔を見たのは、向こうの空港に着いたときと、
その2回だけでした。どちらのときも、ほとんど話らしい話はしていません。
出かけた先は、街のやや外れにある地下の食堂街でした。
これがねえ、ものすごく巨大な施設で、いくつ店が入っているか、
数えきれないくらいだったんです。入り組んだ通路が縦横に通ってて、
地下なのにその場で煮炊きする屋台がたくさん出ていました。

本格的な食事をする店は、その奥のほうにあるんですが、
これも数十軒が、境もなくびっしりと連なっていまして、
何度も来て慣れた人でないと、おそらく道に迷ってしまうんじゃないでしょうか。
ええ、その後一度も訪れたことはありません。
母が、自分が生まれた国なのに、僕が中国の話題を出すことをひどく嫌っていたんですよ。
・・・一家揃っての最後の食事はたんたんとしたもので、
父母の会話はほとんどありませんでした。
まあねえ、感情のもつれが行き着くところまでいってしまって、
何かを口に出すと言い争いが再燃してしまうことを2人とも知っていたんでしょうね。
ただただ、出された食事を口に運ぶだけ。
料理そのものは素晴らしかったですよ。最高級の宮廷料理だったと思います。

でもね、そういう中での僕の気持ちを考えてみてください。
事情はほとんど知らされていませんでしたが、
子ども心にも父母は別れるんだとわかっていました。
それと、料理の量が多すぎまして、最初の20分ほど食べると、
出てくる料理がもう子どもの胃にははいらなくなっていました。ちょっと箸をつけるだけ。
でねえ、途中で母にトイレに行きたいって言ったんです。
そしたら母は給仕の人を呼んで、その人に連れられて店外に出ました。
地下街ですから、トイレもいくつかの店が共同で使うものがあちこちにあったんです。
ああ、有名な中国式トイレではなかったです。僕は小のほうだったんですけど、
ちゃんと個室の壁もありましたよ。給仕の人はトイレのある小路まで僕を連れていって、
ドアを指差したので、中にはいって用を足しました。

それで、ここからが不思議なんですが、数分で同じドアから出たはずなんです。
そしたらです、汚い通路に出るはずなのに、そうじゃなく・・・
日本間だと12畳くらいの個室になってたんです。
子どもの目にもわかるほどの豪勢な調度が使われていました。
神仙の絵を描いた衝立を前にして、中華式の丸テーブルがあり、
4人の人がそれを囲んで座っていたんです。4人ともかなりの老齢で見たことのない顔・・・
ここがよくわからないんです。母の親戚の人で、似ている人がいたような気もしますが、
その人と会ったのはこれまでに数回ですから、断言はとうていできません。
僕がどぎまぎして、ドアから戻ろうとすると、
老人の一人が日本語で「迷ったかね、坊や」みたいなことを言ったので、
「ハイ」と答えました。そしたらその人は、テーブルの上を指差したんです。

テーブルの上には、一人ひとりに洗面器ほどの丸い大型の鉢があるだけで、
その他に料理も飲み物もありませんでした。変だなあ、と思いましたよ。
中華料理って、大皿に盛られた料理を各自が取り分けて食べるのが普通でしょう。
ところが大きな鉢が一つ、それには西洋料理のような金属製のドーム型の蓋がついてました。
「まあ、私たちの料理を見ていきなさい」別の一人が言って、鉢の蓋を持ち上げました。
すると中には満々に青い液体が入っていて、それがびしゃっと跳ねたんです。
液体の中から、鱗のある・・・太いヘビの胴のようなものが持ち上がってきました。
両隣の2人も同じく蓋を上げ、中にはやはり同じような蛇の胴体・・・
それがまだ生きていて、液体を周囲に撒き散らしながらうねうね動いてたんです。
ありえないことですが、3つの皿の中身がつながっているように思えました。
蛇の動きが同調してるように見えたってことです。

僕から一番遠いところの一人が、最後に皿の蓋を、取手をつまんで持ち上げました。
そしたら、同じ青い液体の中から、ぬっと赤ちゃんの顔が出たんです。
産まれたてで、まだ目も開いてない赤ん坊です。その子が小さな口を開けて、
「ひいいーっ」という声をあげました。・・・突っ立ってそこまで見ていた僕は、
怖くなって「失礼しました」と言ってドアから背後に戻りました。
そしたら・・・トイレの清掃用具を入れている個室の中にいて、
そこの戸を開けると、さっきのトイレの中だったんです。
トイレの外に出ると、僕を外まで案内してくれた給仕の人がまだ店の前にいて、
こちらに向かって手招きしてくれました。・・・まあ、こういう話です。
その後、10分ほどで父母の食事は終わり、店を出るときに父は僕の頭をなで、
握手をして「母さんを大切に守ってくれ」みたいなことを言いました。

それから父とは一度も会っていません。ここからは聞いた話です。
その後・・・父は引き抜かれる形で会社をやめ、中国の化学工場に再就職しました。
ですが、よくわからない事情で、父の新しい中国人の奥さんとまだ0歳の子どもが亡くなり、
それを悲観したのか、父も後を追うようにして自殺してしまったんです。
もちろん葬儀などには行ってません。僕はそれから、アパートの一室で母に育てられました。
母の華僑の実家は裕福でしたが、母はその誰とも会おうとはしなかったんです。
ただ・・・父から分けられた財産の他に、
実家から生活費のようなものは出ていたのかもしれません。
母はスーパーのパートをしていましたが、お金に困るということはなかったです。
あの地下街で見た不気味な料理の話ですか? ええ、母には何度も話しましたが、
その度に、悲しいような顔でゆっくり頭を振られただけだったんですよ。






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