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不可視、透明、半透明

2015.11.03 (Tue)
* 今日も怖い話ではありません。
『インビジブル』(原題: Hollow Man)という透明人間の映画がありましたが、
invisibleは「目に見えない、不可視」という意味ですね。
inが否定の意味を持つ接頭語で、visibleが「目に見える、可視」ということです。
と、ここまで書くと透明人間の話と思われる方もいるでしょうが、少し違います。
「透明」というのはかなり難しい概念ですが、「不可視」はさらに難易度が高い気がします。
そのあたりを少し考察してみようかと。

『インビジブル』


自分は不可視について、大きくわけて2つあると考えています。
Aタイプは、実体のない精神?だけのものですね。
body を持たないと言ったほうがいいかもしれません。だから当然見えません。
神様がもしいるとすれば、こちらの分類に入るでしょうか。
Bタイプが、body を持っていながら透明である、いわゆる透明人間に近いものです。
これは透明であるという点をのぞけば、物理法則にしたがう場合が多いです。
例えば、服を着て顔に包帯を巻けば姿が現れる。(洋服を着ることができる)
粉やインク、ペンキのようなものがかかれば、
その部分は可視化する。泥地などに入れば足跡がつく。
これだとタバコを吸えば煙が肺に充満し、食べたものが胃にとどまって見える、
ということになるでしょうか。

ここがなかなか難しいところです。もし食べ物が見えてしまうのなら、
汚い話ですみませんが、腸内にとどまっているウ◯コも見えてしまうのでしょうか。
食べ物が見えるのに、それが消化された物は見えないという理屈も難しいですよね。
もしかしたら、唾液や消化液が食べ物に混じれば屈折率が変化して見えなくなる、
といった仕組みがあるのかもしれません。
また、bodyを持つタイプの透明人間であっても、
壁を抜けたりできるケースもあります。・・・透明人間はどちらかと言えば、
オカルトよりSFにジャンルが近い気がしますので、
話の中での設定次第ということになるんでしょう。

では、これらの不可視のものについて、自由度を考えてみたいと思います。
Aタイプ① 精神だけの存在であるが、
物理的な力を行使できたり、物理を超えたりする。
これはもう完璧ですね。精神ですから、自分は物理的な攻撃は受けません。
そして壁を抜けたり、瞬間移動したり、精神感応したり、好きな姿を見せたり、
気に入らなやつを滅ぼしたり、現在の物理学にとらわれない行動ができるとともに、
(概念上の)手でドアを開けたり、人間に話しかけたり、
ギリシャ神話の神々のように人間との間に子どもをもうけたりもできる。
ま、神様であればこれくらいできて当然なのかもしれませんが。

Aー② 精神だけの存在で、壁を抜けたり瞬間移動などはできるが、
他者に物理的な影響は与えられない。(念動力はできない)これはつまらなそうですが、
映画の『ベルリン・天使の詩』に出てきた天使たちがまさにそうでした。
この使えそうもない設定で、ああいう映画になるんですね。
大人にはまったく見えないが小さな子どもには見える、あの天使たちは、
bodyはなく人間がさわったりはできません。ただ人間のそばに寄りそっているだけで、
自殺志願者を前にしても、何もできることはありませんでした。
そこからくるストレスのために自ら天使の地位を捨てて、人間に堕ちていったりするという。
Aー③ 精神だけの存在なのに、足音を立てたりドアをノックしたり、
物理的に可能なことしかできない。『ゴーストーニューヨークの幻』の幽霊にやや似てます。

『ベルリン・天使の詩』


Bー①タイプ、bodyを持っていて、物理的な力を行使したり超越したりできる。
これは自分の見えない体を攻撃される可能性があるだけで、
A-①タイプとほとんど変わりはないです。
究極の超能力者が、透明人間になったようなものでしょうか。
Bー②タイプ、bodyを持ち壁抜けや瞬間移動などの超能力的なことはできるが、
物理的な力は行使できない・・・Aー②と似ていますが、
体があるのに物を持ったりできないのは変ですね。かなりお話にはしにくいでしょう。
B-③タイプ、透明であるだけで、すべての物理法則にしたがい、
それに反した行動はできない・・・これが元祖 H.G。ウェルズの透明人間です。
ウェルズの透明人間には、タバコの煙が気管を通るのが見えたという描写があります。

不可視の存在の中では、Aー①が当然ながらもっとも自由度が高く、
Bー③が最低ということになるでしょう。ただ見えないだけであとは普通の人間と同じ。
なんといっても透明でいるためには裸でなくてはならないので、
真冬に外で長く行動したりはできませんね。

さて、ここで話題を変えて、幽霊の目撃談では、
「体が半分透けていた」つまり半透明であった、という証言がけっこうあるのです。
心霊写真にもその手のものは数多く見られます。
もちろん「生きた人間とまったく変わらなかった」「何も見えず声だけが聞こえた」
「ドアをノックされたが、すぐ開けても誰もいない」このような証言もあります。
これは不思議ですね。幽霊には上記したようなさまざまなタイプがいるのでしょうか。
それとも、最初は生きた人間とあまり変わらなくても、
幽霊でいる年月が長ければ長いほど、透けて見えやすくなるのでしょうか?

なんだかわけがわからなくなってきましたが、
幽霊が半透明である、と仮定して考えてみましょう。
完全に透明ならば人間の目には見えませんが、背景が透けて見えるくらいの半透明、
その程度の光の透過率と散乱性を持っているということです。
でも、これって変に思いませんか。幽霊の中身や裏側はどうなっているのでしょう?
みなさんのまわりにペットボトルやガラスのコップはありませんか?
それを見れば、裏の部分も透けて見えるはずです。
さらに幽霊に内臓がある、とすれば、それも見えないのはおかしいです。
ですから、半透明な幽霊なら、ペットボトルにビー玉を詰めたように見える
と考えるのが論理的ですよねえ。それとも幽霊には、人間に向いた側の表面しかないのかw
あるいは脳内にわざわざ半透明の像を送り込んでくるのか・・・

幽霊が半透明という話が出てきたのはいつからなんでしょう。
江戸時代の幽霊画などを見ますと、背景が透けて見えるように描かれているものは、
ほとんどありません。ただし足の部分をのぞいてです。
下に2枚画像を載せておきましたが、腰の部分あたりからだんだんに薄くなっていって、
後ろが見えるようになり、足はなくなっている場合が多いです。
足のない幽霊は円山応挙が始めたとも言われますが、これは諸説あってはっきりしません。
そういう描き方をするのが様式になっていったということなんでしょう。

だいぶ長くなってしまったので、そろそろ終わりますが、
自分は透ける幽霊というのは、心霊写真からの影響がやはり大きいと考えています。
特にフィルム写真時代の2重写しです。同じフィルムに別の像が重なってしまうもので、
どちらかが透けてしまうこともよくあります。
多くは失敗写真なのですが、心霊写真を作るために故意に撮られたものもあります。
1970年代には中岡俊哉氏による心霊写真の一大ブームがあり、
その頃の記憶が残っているのでしょうね。
また、現在はデジタル化されて失敗写真は少なくなりましたが、
画像加工ソフトが登場しました。これで2つの画像を組み合わせてトーンを同調させるには、
どちらかの不透明度を下げるのもテクニックの一つです。
それに、単純に透けていれば不思議ですしね。  関連記事 『透明と軍事技術』

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