輪の話

2015.11.10 (Tue)
じゃあお話させてもらいますよ。こんなね、年寄りですから、
どれだけ内容がわかるように話すことができるか、自信はありませんけども。
昭和50年代後半のことです。わたしは当時50を過ぎたばかりで、
初孫が2歳でした。言葉を話すことができるようになったばかりで、
かわいい盛りでしたよ。ああ、孫は女の子でしたよ。
まだ秋口に入ったばかりで、気温もそれほど下がっていなかった日の、
午後の3時ころでしたね。あの日のことは忘れようとしも忘れるものじゃありません
孫はまだ幼稚園などには通っておらず、息子夫婦は共働きでしたので、
わたしの妻が見ておったんです。でね、その日はわたしが早く仕事から戻ってきまして、
孫にせがまれて自転車に乗せ、川べりの土手を散歩に連れていったんです。
寒くはなかったですが、どんよりとした空が広がってたことを覚えてます。

土手の上は舗装路で、自転車の荷台に乗った孫はうれしそうにはしゃいでおりましたが、
そろそろ帰ろうという段になって、「じいじ、川が見たい」と言い出したんです。
それで適当な場所に自転車を停め、孫を抱いて土手から下への階段を下りていきました。
道の両側は、まだ白くなりきっていないススキがぼうぼうに生えていましたね。
下りきったところは、低い木に囲まれた釣りの足場で、
泥の上に竿を立てるためのY字型の木が何本か突き立っていました。
川面は空と同じ鉛の色に濁っていました。「なんも見えないな、お魚も見えない」
孫にそう言いましたとき、「あの、もし」と突然、右手の林から声をかけられまして、
ぎょっとしました。女の方でした。年は30前くらいだったですか。
旅館の浴衣のようなものを着ておりまして、裸足に下駄をはいて、
足先が泥で汚れてたのを覚えています。

「はあ、どうしました」そう答えると、女の方は焦点の定まらない目をしておりまして、
こちらを向いてはいるんですが、まったく目線が合わなかったんです。
「ここらはよいところですが、わたしは疲れました」こう話をされて、
どう答えていいかわかりませんよね。「はあ、旅館にお泊りですか?」
「ええ、北海道から当地に来たのです。向こうの会社の寮が火事で焼けてしまいまして、
 みなで旅館にお世話になっているのですが、心苦しくて」
こんな内容だったと思います。それで、その方は話しながら、
しきりに片方の目の下を右手でこするんですが、
その手の甲に花瓶のような形に見える赤い痣があったんです。
これには驚きました。ちょうどそのときに抱いていた孫娘の同じ方の手の甲に、
やはりまったく同じ形に見える痣がありましたから。

「川は・・・」その方がまた何かを言いかけたとき、
わたしの腕の中でちじこまっていた孫娘が、「じいじ、もう帰ろう」と言いまして。
顔を見たら真っ赤で、額にさわると熱っぽかったんです。
それで驚いて、その方に頭を下げまして、急いで自転車に戻ろうとしました。
階段の途中で振り返ってみますと、もう女の方の姿は見えなくなっていました。
ええ、孫娘はかなりの熱を出していまして、
わたしが上着を脱いでそれでくるみ、風に当たらないようにして家まで連れ帰り、
すぐに車で病院に連れていきました。肺炎という診断でした。
でもねえ、前日までまったくそのような兆候はなかったんです。
風邪どころか、咳一つしなかったですから。
即日入院となりまして、息子の嫁が病院に泊まりこんで世話をしたんですが、

3日後、熱さましの注射を打った後に容体が急変して、
そのまま亡くなってしまったんですよ。・・・これはねえ、わたしは責任を痛感しまして。
もう死んでしまいたいような気持ちで、何年も過ごしたものです。
息子夫婦はわたしを責めるようなことは一言も言わなかったんですが、
やはり、あのとき土手に連れていかなければ、もう少し厚着をさせていれば、
それと、釣り場まで下りなければ、あの女の方に会わなければ・・・
ええ、孫娘が急に熱を出したことと、あの女の方に会ったことは、
何か関係がある気がしてならなかったんです。
というか、あの女の方はこの世のものではなかったのではないか。
孫娘はその瘴気のようなものにあたって、急病になってしまったのではないか。
考えれば考えるほど、そういう気がしてきまして。

それでね、少し調べたんです。その日に北海道から来て旅館に泊まっていた客。
それも話しぶりからすると集団で。まだ大型ホテルもない頃でしたから、
これがわかりそうなものかと思っていたんですが、どこの旅館でもそんな客はいなかった。
女の方の浴衣の模様が、牡丹の花に見えましたので、
そちらのほうからもあたったんですが、手がかりはなしです。
ずいぶん熱心に調べたと思うでしょうが、まあねえ、
今にして思えば、自分の責任をその女の方に転嫁したい、
そういう気持ちがあったかもしれません。でね、市史を調べているうちに、
一つわかったことがあったんです。箱館の魚加工の工場と社員寮が火事になって、
そこに住み込みで働いていた女性社員の人たちが十数名、
市内に昔あった商人宿に数ヶ月宿泊していたということでした。

でも、これは戦後まもなくの昭和26年の話で、
孫娘が亡くなった年から30年以上も前のことだったんですよ。
それから、その集団で避難してこられていた方たちの中で、亡くなった人がいるとか、
そういうことはまったくわかりませんでした。
あの女の方が、時空を越えてあの川べりにいた幽霊なのか、
それともすべてはわたしの思いすごしで、当時のただの旅客だったものか。
どうにも判断がつきかねていたんです。それとね、あの手の甲の痣。
今思い出してみても、孫娘にあったものと大きさこそちがえ、
まったく同じ形だったように思えてならなかったんです。これも不思議でねえ。
家の方は、数年たたずに息子夫婦にまた娘が産まれ、
年子で息子も産まれまして、暗かった雰囲気が晴れたようになりました。

その子らは病気らしい病気もせず、すくすくと育ちまして、
ええ、今は2人とも大学を卒業しています。上は結婚の話がありますので、
もしかしたらひ孫の顔を見ることができるのかもしれません。
もちろんね、亡くなった孫娘のことは忘れていませんし、
年に十数回は墓参りに行きまして、当時のことをわびているんです。
わたしもね、90歳に近くなりまして、まあボケもせず、なんとか体もききますが、
車の運転はやめましたし、妻も10年前に他界して、
もういつお迎えがきてもいいようなものです。できればね、
寝たきり介護などが必要になる前に、ぽっくり逝きたいものだと思っているんです。
それでですね、この間の敬老の日のことです。
地区の公民館で敬老会がありまして、それに出席しました。

近くでしたので、一人でぶらぶら歩いて行ったんですが、
地域の市会議員とか、市長代理とかの人が話をされて、
まああまり面白いものではありませんでした。
もうね、生きていて面白いようなことはほとんどないんですけどね。
その帰りです。やはり疲れたんでしょう。家まで数百mの距離なんですが、
バス停のベンチに座り込んでしまいました。
そしたらね、近くの家から5歳くらいの男の子が出てきたんです。
その子が玄関口で立ち止まって、ずっとわたしのほうを見ていました。
ああ、不審に思われたかなと立ち上がろうとしたときとき、その子の右手の甲に、
赤い花瓶の形の痣があるのに気がつきました。「あっ」と驚きましたが、
その子は振り向いて、コンビニのほうに駆け去っていったんですよ。

はかかいいいおお




関連記事
スポンサーサイト

トラックバックURL
http://scoby.blog.fc2.com/tb.php/953-b7575261
トラックバック
コメント
 久々に「何がなんだか分からない」話を読んだ気がします。幽霊ものなのか、呪いものなのか、あるいはタイムリープものなのか、それすら判断しかねるところが不気味です。どういうインスピレーションで生まれたのでしょうか・・・
| 2015.11.12 22:35 | 編集
コメントありがとうございます
これは特に意図したことはなくて
ただネタがないままに断片的なことを記していたらこうなりました
不気味さは出そうとは思いました
bigbossman | 2015.11.14 06:54 | 編集
追伸 これ不気味と思われたのは鋭いですというか
前半はある人の実話なんです
お孫さんは熱を出しただけで亡くなったりはしませんでしたが
bigbossman | 2015.12.02 16:53 | 編集
管理者にだけ表示を許可する