水木しげる先生追悼

2015.12.01 (Tue)
水木しげる先生が永眠され、オカルト系であり、
「妖怪談義」というカテゴリを持っている当ブログとしても、
追悼記事を書くことにしました。

水木先生は『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』 『悪魔くん』
などの代表作の他、戦記物でも知られています。
また、妖怪研究家としての側面も大きく、全国各地を訪れて伝承を収集し、
絵として描いておられます。紙芝居作家から、貸本屋作家の時代を経て、
『ゲゲゲの鬼太郎』が大ブレイクし、売れっ子作家となりました。
晩年になっても活躍され、これは、奥様の著作である『ゲゲゲの女房』が、
NHKの連続テレビ小説で取り上げられるなどのこともありましたが、
京極夏彦氏らによるところが大きかったと思われます。

とまあ、ここまではニュースなどでも目にする内容ですが、
やはり水木先生の功績としては、妖怪のメジャー化が最も大きいと思われます。
今となっては考えられないことですが、水木先生以前は、
民俗学の一用語である「妖怪」という言葉を知らない人も多かったのです。
鬼太郎の最盛期は、心霊体験の新倉イワオ氏 (『あなたの知らない世界』)
心霊写真の中岡俊哉氏など、他にも何人ものオカルト先駆者がおり、
現在の土台を築いていかれたのです。

前に妖怪論で少し取り上げましたが、閉鎖的な江戸時代の封建農村で、
各地域でバラバラになっていた妖怪イメージは、
江戸の戯作者による妖怪物ブームでかなり統合されましたが、
超自然的な怪異を否定する傾向が強かった明治時代に、
いったん忘れ去られそうになりました。
それを復活させたのが、水木先生だったわけですね。

先生が妖怪に興味を持たれたのは、幼少時からの体験が大きく、
生育された鳥取県は、出雲に近い神話の里ですし、
のんのんばあ(景山ふさ)、という賄いにきていたお婆さんから、
数々の不思議体験、霊体験を聞いて育ちました。水木氏本人は、
「この小柄なおばあさんが私の生涯を決めたといっても過言ではない」と述べています。
また戦争で出生した南方の地も、かなり色濃くアニミズムの残っている場所で、
それからの影響もあったのかもしれません。
自分が書いた話にも、水木氏の作品から触発されたものはいくつかあり、
これなどがそうです。短いものなので再録します。

引っぱる

漫画家の水木しげるが書いた「のんのんばあ」の話に「引っぱる」というのが出てくるが、
数十年前まで俺の住んでいた地方でもこれに似たことがあったんで書いてみる。
当時自分はまだ小学生だった。「引っぱる」というのは今まさに死んでいく人間は、
その死のまぎわに、生きた人を道づれにして
冥土に旅立ってゆくことができるというような話。

うちは四国の山奥の集落だったんだが、当時90過ぎのひいばあさんが肺炎になった。
ひいばあさんくらいの年代は意地の強い人が多くて、
前日まで腰を曲げて畑に出ていた年寄りが、
明くる日ぱたっと倒れて亡くなってしまうなどということがよくあったらしい。
長く寝たきりになって家族の世話を受けるという人は不思議と少なかったという。
当時は自宅療養と往診が当たり前で、
入院先で亡くなるということも年寄りでは珍しかった。

ひいばあさんも肺炎と診断されてから1週間もたたずに死んでしまったが、
寝ついたという話を聞いて、近隣のばあさん連中がわらわらと訪ねてくる。
それも夜陰にまぎれるという感じで、
ばあさんらは普段は夕飯を食うともうひっこんで寝てしまうんだが、
夜の9時過ぎ頃に見舞いと称し、
野菜などを持ってきては病人の枕元で長いこと話し込んでいく。

ひいばあさんは熱も咳もあって話ができるような容態ではないんだけど、
それもかまわず病人に向かって「下の郷の◯◯婆を引っぱってくれ」
のようなことをくどくどと頼み込む。
そ◯◯婆にどんなひどい仕打ちをされたかなどのこともいっしょに。
これらの声はひいばあさんが寝かされてる部屋から逐一聞こえてくるんだが、
頼む方はそういうことも気にしてられないというくらい熱心だった。

その頃はまだ一家を仕切っていた自分のじいさんはあまりいい顔はしてなかったが、
ここらの集落の風習みたいなもんだから仕方がないという感じだった。
ひいばあさんの葬式を出して3ヶ月以内に、集落の年寄りが2人亡くなった。
そのうちの1人は間違いなく、ひいばあさんが引っぱってくれと頼まれていた対象だった。
ただしその人は70過ぎだったんでたまたまなのかもしれず、
引っぱりの効果かどうかは何とも言えない。

水木先生による妖怪イメージは強烈で、
「砂かけ婆」「子泣き爺」「一反木綿」「ぬりかべ」などは、
水木先生の絵柄以外の姿は頭に浮かんできません。
これは無理のないことで、もともとこれらは文字でしか伝承されていないものであり、
水木によって初めて絵として描かれたからです。

水木先生の絵柄としては、点描ということがよく言われます。
背景は草木などが多いのですが、点描で描くのはかなり時間がかかったものと思われます。
あと、漫画の絵ですので、鬼太郎をはじめ登場人物は三頭身くらいなのですが、
これは浮世絵であった石燕作品と比べるとやはりコミカルな感じがします。
鬼太郎が子ども向けの話であったため、怖いけれどもどこか憎めない、
楽しい妖怪のイメージが広まりました。

安らかなるご冥福を心からお祈りいたします。







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コメント
 初めまして、野崎と申します。

 私も小さい頃から『ゲゲゲの鬼太郎』で育ったようなものなので、今回のニュースは衝撃でした。

 試験も仕事も病気もなんにもない向こうの世界でゆっくり休んでほしいですね。
野崎昭彦 | 2015.12.03 19:14 | 編集
コメントありがとうございます
オカルトの火は水木先生も含め
いろんな方の盛り上げで続いていることに感謝です
bigbossman | 2015.12.04 01:13 | 編集
 水木御大との出会いはTV版鬼太郎第3期(1985年)でした。子供視点では既におじいさんだった御大ですが、近年は半ばリアル妖怪として親しまれていた気もします。今ごろ、あの「鬼太郎を讃える虫たちの歌」にもきっと御大の名前が・・・
| 2015.12.06 22:24 | 編集
コメントありがとうございます
妖怪ジャンル全体で考えればあまり廃れることはないんですね
それに流行るときはわっと流行ります
今の妖怪ウオッチみたいに
bigbossman | 2015.12.07 07:07 | 編集
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