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棟梁から聞いた話

2019.09.08 (Sun)
自分(bigbossman)は大阪のあるホテルのバーにたまに行くんですが、
そこで千田さんという元大工さんと知り合いました。
年齢は70歳を少し超えたくらいだと思います。工務店をやっておられた
んですが、そちらのほうは息子さんに代替わりして、現在は悠々自適の
生活です。で、千田さん、そのバーでは常連から「棟梁」って呼ばれて
るんですね。名刺を出すと社長と言われてしまうんですが、それが嫌で、
自分から「千田でいいんだけど、社長よりかは棟梁のほうがいいな」
こうリクエストされて、それで呼ばれてるんです。
まあ、昔かたぎの人だってことです。先週の金曜日、試写会に行った帰り、
そのバーに寄ったら棟梁がいて、そこであれこれ話をお聞きしたんです。
ちなみに、棟梁はいつもスコッチのシングルモルトを飲んでるんです。

「それで、家を建てる上で何か怖い話ってありますか」と自分。
「怖い話・・・そうだなあ、ないこともない」 「どんな?」
「家を建てるときには、昔から言われてる決まり事がいくつかあるんだ」
「はああ、鬼門とかですか」 「いや、たしかに昔は、鬼門なんかを気にする
 人は多かった。けど、今はそんなことは言ってられないだろ。
 特に都会だと、ぽっと空いてる土地があって、そこを買って家を建てる。
 だから最初っから制限があるんだ」 「ああ、そうですよね。当然、
 道路に面したほうを玄関にしなくちゃいけないし、家の向きは
 どうしようもないか」 「まあそうだ。でもよ、地図見てみればわかるが、
 鬼門にあたる北東に玄関がある家ってのはそんなに多くはない。
 日当たりなんかの関係で、道がまずそうなってる」

「ははあ、それは知りませんでした。他には何か?」 「そうだなあ、
 細かい決まり事はいろいろあるよ」 「例えば?」 「2階の窓な、
 あれって壁に直付けはあんまりよくないんだ。意味がわからんか、
 窓の下には、ちょっとでもいいから屋根があったほうがいい」
「え、それ、どうしてです?」 「これは俺の親父から聞いたんだが、
 2階の窓ってのは、悪い物が入って来やすいんだ。だが、どういうわけか、
 庇みたいなのでも屋根があれば、たやすく入ってこれなくなる」
「うーん、でも、マンションとかは窓に屋根ないですよね」
「けども、そのかわりにベランダがあるだろ」 「ああ」 「アパートはな、
 ベランダなんかついてないから、じつはあんまりよくない」 
「他には?」 「そうだな、家の裏口ってあるだろ、あれな

 塀を回した家の場合、玄関から裏口まで行き来できないと具合が悪い」
「どうしてです?」 「これは俺もよくわからんのだが、昔から言われてる」
「塀がなければ関係ないんですか?」 「そうだ」
「あ、そういえば、自分の実家もそうです。塀の内側を通って
 玄関から裏口まで行けます。けど、これって設計段階のことですよね」
「建築士はみな知ってるよ。それに、うちは設計から全部やってたから」
「なるほど。実際にご自分で体験されたことってありますか」
「ああ、ないことはない」 「ぜひ」 「あれは昭和40年代だな、
 当時俺は大工になったばかりでね、他の棟梁のとこに修行に行ってた」
「で?」 「当時の修行は厳しかったぞ、ヘマをすると鉋の角で殴られたから」
「まさに修行ですね」 「でな、あるとき、神社の解体・移築の現場に行った」

「へえ、神社って宮大工がやるんじゃないんですか」 「それは有名な大きな
 神社の話で、そこらの町に専業の宮大工なんていねえよ」 「で?」
「そこの神社は明治になってから建てられたもんで、そう古いわけじゃない。
 まだ木材も十分使えるから、バラして少し離れた場所にそのまま移す」
「ははあ、神社建築って釘を使わないって聞きますが」
「いや、それは江戸時代とかそれ以前の話で、理由は2つある。      
 一つは神様が金気を嫌うってことだが、それは表向きのもんで、
 昔は鉄が貴重だったからだよ」 「ははあ、初めて知りました」
「でな、その神社は小さく、本殿と拝殿がかねられてて、解体は1日で終わった」
「どうして移築したんですか、それと神社の御祭神は?」 
「移築の理由はよくわからん。氏子の代表になってる元町長は、

 裏手の山が土砂崩れを起こしそうで危険だからと言ってたが、
 俺にはそう見えなかった。あと神社は、どこにでもある神明社だよ」 
「ああ、天照大神ですね。すみません、何度も話の腰を折って。続けてください」 
「屋根は檜皮葺で、これだけは移築できんから新しくするしかない。
 で、その屋根の葺地の中から妙なものが出てきたんだ」 「何でした?」
「縦3尺、横2尺くらいの金属板を2枚重ねて何かをはさみ、鎖でぐるぐる巻きに
 されてた。すごい重さで、職人2人じゃ持てなかった。後でわかったんだが、
 その金属板は鉛製だったんだよ」 「中には何が?」
「まあそう先を急ぐな。氏子や神職に聞いたら、それはこっちで処分してほしいって
 ことだったんで、トラックに積んでな。で、解体後に儀式をやるだろ。
 俺は神社のことはよくわからんが、祝詞とかあげるやつ」

「ああはい」 「その最中、神主が祝詞を読むのをつっかえたんだよ。
 これがやっちゃいけないことなのはわかるよな」 「はい、そのために
 必ず紙に書いたのを読み上げます」 「そしたら、脇に控えてた元町長が
 突然、前のめりに倒れた。地べたに手をついてえずき、そのまま頭を
 草の上に落としたんだが、みるみるうちに血が広がってな」
「吐血したってことですか」 「そうだ。神事は中断して、救急車が呼ばれたが
 元町長はピクリとも動かず白目を剥いてたから、素人目にもこれはダメだって
 わかったよ。結局、動脈瘤破裂ってことで、その日のうちに病院で死んだ。
 あと、祝詞を上げてた神主も具合が悪そうだったな」 「で?」
「ひとまず会社に戻って、ほらさっき言った鉛板な、みなで鎖を切って
 開けてみたんだ。何が入ってたと思う」 「いや、わからないです」

「写真額だよ。白黒でガラスは入ってなかった」 「何の写真でしたか」
「それがな、結婚式の記念写真だった。新郎が軍服を着てて、歳はまだ若いが
 将校だと思った。で、新婦が花嫁姿」 「それ、もしかしてムカサリって
 やつでしょうか。死後に結婚式をあげる」 「ムカサリというのはよく
 知らんけど、実際の結婚式の写真だよ。おそらくは新郎に召集がかかって、
 出征する直前に式をあげたんだと思った」 「ははあ」
「ただな、不気味なのは、写真の花嫁の顔が、何か尖ったものでこそげたように
 削り落とされてたってことだ」 「うわあ」 「鉛板をもとに戻し、とりあえずは
 会社の倉庫に保管しといたんだが、その写真、祟ったんだよ」
「どんなふうに?」 「まずは、倉庫番のやつが全身に湿疹ができ、高熱が出た。
 市の大きい病院に入院して命はとりとめたけどな」

「で?」 「あと、当日解体に行った大工連中も、多かれ少なかれ
 体にできものができたんだよ」 「棟梁も?」 「ああ、頭の髪の中に
 水ぶくれができて、治るまで半年近くかかった。それだけじゃない、
 その神社のな、氏子の主だった者が次々死に始めたんだよ、みな病死」 「う」
「まあ、その人らは高齢ではあったが、3ヶ月で4人は尋常じゃねえだろう。
 入院とかしてたわけじゃないんだから」 「その写真はどうなったんですか?」
「大工連中はみな触るのを嫌がったが、移築した神社の屋根の中にもとのとおりに
 入れといたんだ。そのときの神事には、奈良にある有名な神社の宮司が来た。
 おそらく氏子たちが頼んだもんだろうが、何事もなく終わったんだよ。
 それで、大工たちにできものができるのも、氏子たちが死ぬのも
 収まった」 「いや、怖い話ですね。その神社に写真額を

 封印してたってことだと思いますけど、被写体の新婚夫婦で何かわかることが
 あったんですか」 「・・・それから10年くらいたって、ある人から
 話を聞いた。その新郎のほうは元町長の次男で、海軍兵学校を
 卒業してすぐ許嫁と結婚し、1ヶ月もたたずに出征。それで、
 昭和20年の初めに戦死公報が入ったんだ。乗艦中に沈没させられたという話で、
 当然、遺骨も遺品もなし。で、遺された花嫁のほうは、その後の空襲のときに
 家から避難せず、仏壇に向かったまま焼死したらしいんだ。これは噂だが、
 姑に、息子の後を追わないことを責められていたらしい」 「うう」
「でな、終戦になって、死んだはずの新郎が復員してきたんだよ。
 戦死の報は手違いだったらしい」 「ええ、そんな!」 「けども、その息子も、
 せっかく生きて帰ってきたのに、しばらくして山中で首を吊ったんだよ」

怪奇ロマン『君待てども』
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看護師の話 3題

2019.09.02 (Mon)
大学病院勤務 西田美優さんの話
私は某大学附属病院の放射線科に勤務しています。内部の移動で
放射線科に変わったときは、正直怖いなと思ったんですが、
分掌は外来の受付でした。はい、自分から外来の希望を出してたんです。
結婚して、夜勤のある入院病棟はもう難しいと思いましたので。
しかも待合室前の受付ですから、放射線被曝の心配もありません。
それで、大きな病院なので、毎日大勢の患者さんが検査に訪れます。
単純X線やCTはさまざまな病気の方が来られますが、
PET検査を受けるのはまず癌患者さんだけです。
その待合室に、いつも座っている50代に見える男性がいました。
灰色のコートを着て、油で頭をびしっとなでつけてる。
観察していてわかったんですが、その人、健康食品の業者なんです。

癌は治る病気になったとはいうものの、それは転移がなく、
原発巣が切除できる場合だけで、PET検査などで転移巣が見つかると、
手術はできず化学療法になります。化学療法では完治は望めません。
癌を放置した場合と比べて、わずかな期間、延命できるだけなんです。
その人は、そういう患者さんやそのご家族を待っていて、見つけると
人の良さそうな笑みを浮かべ、「たいへんね、・・・わかりますよ」
と言いながら近づいていきます。それで、波動水というのを言葉巧みに
販売するんです。「大丈夫、抗癌剤と併用すれば治りますよ、頑張りましょう」
常識で考えて、そんなので治るはずはないんですが、告知を受けて
手術できなければ末期癌です。ショックで頭がいっぱいのとき、
その業者の言葉は、水が染み込むように入ってってしまうんですね。

その波動水、1本4万円のものを週2本飲むみたいですから、
月に40万近くかかります。それで、効果はほとんどない、詐欺同然のものです。
ですから一度、放射線科の准教授に思い切って報告したんです、
どうにかなりませんかって。そしたら、准教授は少し苦い顔をし、
「あの人な、ここの病院の理事長の知り合いらしいんだ。だから、
 かまわないでおくように教授からも言われてるんだよ」頭を振って
こう言われたんです。放射線治療に来た患者さんの中には、
待合室でその波動水を飲んでる方も見かけました。でも、よほどのお金持ちで
なければ、お金が続かないですよね。一昨日です、その人のところに
60代くらいの男性が来てました。男性は病状が進んで かなり具合が
悪そうでしたが、声高に話していて、こんな声が聞こえてきたんです。

「もう・・・貯金は使い果たして、借金までしてしまった、なのに
 どんどん具合が悪くなる一方だ!」 「大きな声を出すのはやめてください。
 それは中には効果がない方もおられます。そうお話したでしょ。残念ですが、
 もう私にできることはありません」その患者さんは頭に血が登ったようで、
よろめきながら立ち上がり、「この・・・」波動水業者のコートの襟首を
つかもうとしました。業者は慣れた様子ですっと後ろに下がり、
待合席の席から30代くらいの男性が2人立ち上がったんです。業者は、
床にへたりこんだ患者さんに向かって、「この人たちは弁護士ですから、
 あとは別の場所で話をしてください」患者さんは、両脇を抱えるようにして
ホールのほうに連れてかれましたが、そのとき、業者のいる真上の天井に、
一瞬、むくむくと黒い雲のようなものが広がり、すぐに消えたんです。

クリニック勤務 三沢瑛美さんの話
私は、駅前にある免疫療法クリニックで働いていました。はい、今はもう
やめてます。免疫療法はご存知でしょうか。癌に対して、患者さん自身の
免疫細胞を強化し、自然治癒に導く。でも・・・はっきり言って、
副作用はないかわり、ほとんど効果もないんです。そのことは、
勤務する前から知ってました。じゃあ、なんでそんなとこに勤めたんだと
思われるでしょうが、すごくお給料がいいんです。一般病院の倍近くでした。
治療費は、自由診療ですから高額です。そのクリニックでは療法1コースが
120万、あとは患者さんの懐具合を計って、4コースとか6コースとか
決めるんです。はい、はっきり言ってインチキなんですが・・・
一般病院と違って、医師はみなすごく優しいんです。患者さんにとって
聞きたくないようなことは絶対に言わないし、診察にも長い時間をかけます。

だから、心の面では安心感だけはあったと思います。まあ、お金が続くうちは。
この間、若い女性の患者さんがみえたんです。まだ20代後半でした。
近くにいて話が耳に入ってしまったんですが、シングルマザーでまだ幼い男の子を
育てているということでした。その患者さん、肺腺癌が見つかったんです。
大きな病院に紹介され、そこでは、転移はなく根治手術が可能という
診断だったそうです。でも、その患者さん、すごく手術を怖がってたんです。
たしかに、麻酔の事故などが起きる可能性はあります。それと、仕事を長期間休めない
ことも気にされていました。手術後は術後化学療法を受けることなりますから、
抗癌剤にも不安があったんだと思います。クリニックの医師はこんな話をしました。
「手術可能でも、完治できるとはかぎりません。検査機器では見えない転移があって、
 手術の途中でやめちゃうケースも多いんです。また、抗癌剤を使用した場合、

 100人に1~2名の割合で副作用死があります。うちの免疫療法で必ず完治するとは
 お約束できませんが、副作用はまずありませんし、お仕事を続けながらでも
 治療できます。・・・どうするかは、ご自身でよく考えてお決めになってください」
その患者さんが帰った後、医師は私に向かって、「今の患者、どうすると思う。
 思い切って手術を受けるか、それとも当院に来るか。どうだ賭けをしないか」
笑いながらそう言ったんです。もちろん賭けは断りました。2週間ほどして、
その患者さん、クリニックを再訪されたんです。もう医師は満面の笑みで、
「よく決断されました。いっしょに治すよう頑張りましょう」って。検査のため、
患者さんが別室に行くと、医師は私のほうにくるりとイスを回し、Vサインしたんです。
そのとき、医師の頭の上にむくむくと黒い雲のようなものが広がり、すぐに消えました。
そんなの見たらもういられないですよね。すぐに辞めさせてもらいました。

〇〇癌センター勤務 峰村恵子さんの話
はい、私は〇〇癌センターの消化器内科の外来に勤務しています。もちろん、
癌センターですから、ほぼすべての患者さんが癌の診断、治療に来ています。
中には腫瘍が良性であることがわかって、喜んで帰っていく方もおられますけど。
1日数千人の患者さんが来られますので、一人の診察時間は3分程度しかありません。
手術でない患者さんには、血液検査の結果を説明して、外来化学療法室で
抗癌剤の点滴を受けてもらいます。ただ、時間をとる場合もあり、
それは最初に癌の告知をするときと、余命をお知らせするときです。
はい、〇〇センターでは、エビデンスに基づいた余命は、できるかぎり
ご本人にお知らせする方針なんです。・・・ここからは、病院の恥を話さなくては
なりませんが、私自身、どうしたらいいのか迷ってまして。

ここのみなさんにお知恵をお借りできたらと思います。
診察室は、小さな部屋が横長に20室以上並んでいます。診察室の奥は、
それらの部屋をすべて通した細長い通路になってて、医師からの指示があれば、
看護師がいつでも駆けつけることができるんです。
それでその日、3時過ぎに外来診察時間が終わり、先生方は食事に出たり、
入院病棟や研究所のほうに行かれたりします。私の勤務は5時半までで、
書類を書いたり片づけをしたり、いろいろやるこがあるんです。
その後ろの通路を通って各室を見て回っていると、一つの診察室から
薄い黒い雲のようなものが流れ出ているように見えました。「え、何か燃えてる?」
と考えましたが、焦げ臭い臭いはしません。入ってみると、たしかに煙が流れていて、
特にある一ヶ所で濃かったんです。はい、棚の上にテイッシュの箱が置いてあって、

その上から天井にかけて広がってました。変だなと思たんです。
患者さん用のテイッシュは診療台の近くにあります。医師が使うために持ってきた
としても、あんな手の届かないところに置くのは。手に取ると重く、カタカタと
何か固いものが入っている音がしました。箱を回してみると・・・巧妙に隠して
ありましたが、レンズが見えたんです。ビデオカメラ? そこで、すごく迷ったんです。
このまま気づかなかったことにしてしまおうかって。でも天井の煙が・・・
慎重に上のテッシュを取り出し、医療手袋をはめてからカメラを出してみました。
子どものビデオを撮ってるので、操作のしかたはわかりました。電源を入れ
巻き戻してみると、映ってたのは、癌の告知、余命宣告を受けている患者さんの
様子の隠し撮りだったんです。何人も何人も、がっくりと肩を落とし、泣き出す人も。
その日、その診療室を使っていたのは、最近離婚したばかりのY先生でした。






九相の鏡の話

2019.08.27 (Tue)
ああ、どうも、またまた来てしまいました。引退した骨董屋です。
今回は、私が経験した古物に関するエピソードの中から、
ある西洋アンティークの鏡の話をしようと思いまして。
ええ、ちょっとした話ならいくらでもあるんですよ。
でね、今になって考えると、古物の種類によって似たような不思議が
起きることが多いんです。人形、皿や壺、武具、掛け軸などの飾り物、
ガラス器、タバコの根付、仏像・・・不思議といえば不思議だし、
あたり前のこととも思えます。属性と言えばいいんでしょうか。
あまり難しいことはわかりませんが、その古物の用途によって、
凝る気に片寄りが出てくるんでしょうね。鏡なんかは特に、
女性の方は毎日見るでしょうから、何らかの念がこもりやすい。

江戸時代までは、金属製の鏡がほとんどだったのはご存知でしょう。
大量生産されてましたから、出回るのは質の良くないものが多いんです。
ガラスの鏡もあることはありましたが、小さいものばかりですし、
ゆがみもひどい。これは、日本では大きな板ガラスが作れなかったためです。
大型の姿見が出回るようになるのは、明治以降のことですね。
ああ、うんちくはこれくらいにして、本題に入ります。
私には一人弟がいて、私のようなヤクザな商売にはつかず、
当時の国鉄に採用されて駅長までやったんです。それで、娘が2人いまして、
私からみれば姪っ子です。その妹のほうが、まだ独身で
会社勤めをしていた頃の話です。はい、そのときには私はもう
引退しておりましたが、相談事があると言って家に来たんです。

なんでも、アンティークの鏡を家具屋で買ったが、それから精神状態が
おかしくなったということでした。ここからは姪との会話です。
「どういうことなのか詳しく話してみて」
「はい、伯父さん。西洋アンティークの家具屋で、イタリア製という
 姿見を買ったんです」 「大きさはどのくらい?」
「そうですね、台座もふくめて私の背よりも高いです。
 180cmあるかもしれません」 「それは大きいね、で、店の人は
 どう説明してたの?」 「イタリア製、1910年代の製品。
 台座はオーク材で手彫りの装飾。鏡面に曇りやゆがみはほとんどなし」
「へえ、そりゃいい出物だ、値段はいくら?」
「7万円でした」 「え、安い、値段については何か言ってた?」

「はい、すごく良いものなのにこの値段なのは、使い勝手がよくないからだって」
「どういうこと?」 「ほら、ふつう姿見って見る角度を変えられるよう
 動くじゃないですか。それが固定されたままで動かなかったんです」
「ほう」 「でも、すごく気に入っちゃって、どうしても欲しくて
 しかたなくなったんです。動かないけど、正面に立って見るぶんには
 問題ないし、値段も、私のお給料でなんとか買える額だし」
「ああ、物と人の出会いってのはあるもんだよ。ひと目見て魅入られたように
 なってしまって、どうしても手に入れたくなる」
「ああ、そうです。そんな気持ちでした。それで、貯金をおろして
 現金で支払い、家具屋さんに部屋まで運んでもらったんです」
「よほど気に入ったようだね」 「はい、すごく・・・自分がよく見えるんです」

「ははあ」 「すらりとスタイルがよく、顔も細面で、何を着ても似合いそうな
 まるでモデルみたいに」 「それはおそらく、わざと曲率をゆがめてつくって
 あるんだろうね。ほら、お化け屋敷に入れば、伸び縮みして見える
 鏡があるじゃない。あそこまで極端でなくても、縦長に映って見える」
「ああ、やっぱりそうですよね」 「まあ、お前はもとからスタイルはいいと
 思うけど。専門的なことを言うと、ガラスがかまぼこ型に盛り上がってるんだ。
 だから手足の先端にいくにしたがって細長く見える。でも、ちょっとさわった
 くらいじゃわからんよ」「それで、鏡に何か変なことが起こったわけじゃなく、
 その鏡が来たことによって、私が変わっちゃったんです」
「どういうことだい?」 「まず、すごく服装にお金を使うようになりました。
 店先やカタログで、いいなっていう服を見つけると、

 これを着て鏡に映してみたらどう見えるんだろう、って考えちゃって」
「で」 「とにかく買いまくっちゃったんです。後先考えず高価なブランド品を」
「ははあ」 「私はまだ入社2年目で、お給料も少ないんだけど、
 そのほとんどを服やバッグにつぎこんで」 「それで痩せてるんだな」
「はい、部屋代と光熱費は決まってて、削れるのは食費だけだったので」
「それで」 「でも、お腹がすいたとも思いませんでした。買った服を着て
 鏡に映してみると、雑誌から抜け出したみたいに見えたんです」
「まさか借金とかした?」 「いえ、そこまでは。でも、あのままだったら
 きっとそうなってたと思います」 「うーん」
「それから、つき合ってた人がいたんですけど、その鏡が来てから
 別れてしまいました」 「それはどうして?」

「うまく言えないんですけど、この人は私にふさわしい人じゃないって
 思えてきて。今考えれば、とんでもないことでした」
「今も別れたまま?」 「・・・すごく後悔しています。でも当時は、
 とにかく彼の欠点ばかりが目について、一つ一つのしぐさや癖、
 それが何もかも鼻について嫌でした。それと、不思議なことがあったんです」
「ほう、どんな?」 「私と彼とがその鏡に並んで映ったことがあるんです。
 もちろん縦長ですから、2人の全身は入らないんですが。
 彼が小さく見えたんです。背が低く太った感じに。それを見て、
 ますます、ああこの人と私は似合わないって思って、
 私のほうから別れを切り出したんです」 「うーん、それで」
「あと、会社での私の立場も悪くなりました」 「どうして?」

「すごく態度が高慢になってしまったんです。私がこんなコピー取りや
 お茶くみなんかしてるのはありえない、もっともっと活躍できる、
 私にふさわしい場が他にあるだろうって思って、それが態度に出て」
「それだと、イジメられるだろう」 「はい、イジメられるというか、
 ある昼休みに、女子社員の何人かから呼び出されて、いろいろキツイことを
 言われました。それと、上司からも一人別室に呼ばれて叱責されたり」
「で」 「こんな会社、辞めてやろうって考えてた矢先のことです。
 その夜も、姿見の前で、買ったばかりの新しい服を身に着けてあれこれ
 ポーズをとっていました。何時間でも見てられるし、陶然とした
 気持ちになってくるんです」 「で」 「そのとき、ドアのチャイムが鳴って、
 無視しようかとも思いましたが、出てみたんです。
 
 別れた彼でした。私は、ドアチェーンをかけたまま、あなたにもう用事は
 ないから帰ってって言いました。すぐ鏡の前に戻りたくて。
 そしたら、彼は何も言わず、細く開いたドアのすき間の上のほうから、
 中に金属の工具を投げ込んだんです。バールって言うんでしょうか、
 細長いやつ。それは横を向いていた鏡の縁にあたり、せまい部屋ですから
 壁にはね返って、鏡面を割りました。そのときに、拍手の音がしたんです」
「拍手?」 「はい、劇場かどこかで、大勢の人がするような拍手の音」
「うーん、それで」 「その瞬間、憑きものが落ちた感じがしました。
 あれ、私、何をやってるんだろうって」 「なるほど、だいたいわかった。
 伯父さんは西洋物は詳しくないが、これから行ってその鏡を見てみよう」
でね、まだ鏡はそのままにしてあるからということで、

いっしょに姪の部屋に行ったんです。いや、ひと間の部屋の中は服や靴、
バッグ類とその箱であふれてました。あと、カップ麺の容器がキッチンに
積み重なって。鏡は八方にヒビが入ってましたね。ひと目でいいものだということは
わかりました。ただ、装飾が不気味で、鏡の周囲をとりまいた蔦の深彫りが、
まるでネズミか何かの頭蓋骨を並べたように見えたんです。
持っていった軍手をはめて、鏡の破片を一つずつ慎重に剥がし、
段ボール箱に入れていきました。裏板があらわになったので、さらに調べると、
二重になってるように思えました。それで車から道具を持ってきて、
上板をはずしてみたんです。端が糊づけされているようで、作業は困難でした。
下の板に何かが貼られているのはすぐにわかりましたよ。
それを傷つけないように慎重に外して、何が出てきたと思います?

古いモノクロの写真が9枚、縦にならべて貼られてたんです。どれも
一人の外国人女性、おそらくイタリア人でしょう、を写したものでした。
1枚目はその女性が4歳ほどで、大きなお屋敷の庭で遊んでいる姿。
2枚目は10歳くらいで、広間でピアノを弾いてました。3枚目は15歳くらい
ですか、私立学校の寄宿舎らしき場所で撮ったもの。
4枚目はその女性が舞台に立っているところで、女優になったんでしょうか。
あとで調べてみましたがよくわかりませんでした。次も舞台で踊っているもの。
6枚目はその女性の結婚式で、結婚が遅かったんでしょう。
30歳を過ぎているように見えました。それと、場所は教会でしたが、
神父さんの姿だけが切り抜かれてました。7枚目は3人の子どもに囲まれている姿。
8枚目、女性はまだ40代に見える姿で棺に入れられていたんです。

どの写真も黄ばんで、縁はぶさぶさになってましたね。
ですから、撮られてかなりの年月がたってから、鏡の中に収められたんだと思います。
・・・最後の一枚についてはあまり話したくないです・・・ 時刻は夕方でしょうか、
その女性の遺体が暗い森の中の土の上に放置され、数匹の野犬が顔や手を
齧っている・・・そんな写真がなぜ撮られたのか、特に最後の一枚を撮ったのは
誰なのか、何もわかりません。その鏡はどうしたかって? 私の手に負えるものでは
ないことは理解できたので、ローマ法王庁に事情をしたためた手紙を出しました。
そしたら、すぐに送ってほしいという返信が来て、ガラスの破片ともども
船便で送ったんです。はい、向こうで処理されたんでしょう。感謝されましたよ。
話はだいたいこれで終わりです。姪には、その青年と仲直りするように言いまして、
姪もそのつもりでした。結局、2人は結婚して今にいたるんです。

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笑い地蔵の話

2019.08.21 (Wed)
どうぞよろしくお願いします、高校2年生です。さっそく話していきますけど、
これ、話の前半のほうは僕が体験したことじゃないんです。
うちの母です。ですから、もしかしたら細かい部分でつじつまの
合わないとこもあるかもしれません。うちは、昔からの古い商店街の
中にあるんです。といっても、すごくさびれちゃって、半分以上は店を
閉めちゃってます。まあ、どこもそうなのかもしれないですけど。
年寄りばかり増えて、市全体が活気がなくなってるんですよね。
商店街の道はそこそこ広いですし、朝夕の通勤時間には
けっこう交通量もあります。ただ、僕が小さいときから、
事故なんて見たことはなかったんですけど。
それで、ええと、始まりは1ヶ月ほど前のことですね。

うちは商店街の交差点の角で、小さい薬局をやってるんです。
調剤もやりますけど、主に市販薬を売ってる。両親とも薬剤師で、
ずっと店にいます。さあ、よくわからないですけど、うちが食べていける
だけの収入はあるみたいです。で、その日の朝、母親が早く起きて
店の前を掃除してたんです。時間は朝の6時ころで、
そのあたりだと、まだあんまり交通量は多くないんです。
そしたら、通りの向こう側に顔見知りのおじいさんがいて、
手を上げて、母親のほうに向かって何か言っている。
「店はまだ開かないのか」みたいな意味だと思ったそうです。
そのおじいさんは町内の人じゃないけど、毎朝ウオーキングしてて、
母親は顔を見ればあいさつしてたそうなんです。

店の開店は9時なんですが、おじいさんが急に薬が必要になったのかと
考えて、「ああ、いいですよ、今開けますから」母親がそう呼びかけると、
おじいさんはヨタヨタした様子で道路を渡ろうとして。
でもそのとき、かなりのスピードの車が道をくるのが見えたそうです。
母親は、「危ないです!」って叫んだものの、
おじいさんは道の真ん中まで出てきて、ドシンという嫌な音とともに
はねられちゃったんですね。母親の話では、相当な高さまで宙に浮いて、
それから交差点の店側の信号の下に、頭から落ちてきたんだそうです。
で、またアスファルトに頭を打ちつけるボグッという音。
あの音は一生忘れられないって言ってました。
母親は大きな悲鳴をあげて、それが聞こえたんで僕も起きてきたんです。

「何、どしたん?」って表戸を開けたら、おじいさんは、
数m前のガードレールに足先を引っかける形でうつぶせに倒れてて、
頭の下からすごい量の血が地面に広がってました。ピクリとも動かないし、
あの血を見ただけでもう助からないと思いました。母親が、
「警察に連絡して!」と言ったんで、店の電話からかけたんです。
おじいさんをはねたのは商用車のバンで、40代くらいのサラリーマンの
人が出てきて、呆然と立ちつくしてました。派出所がわりに近いので
警察はすぐ来ました。親父も出てきたし、近所の人も野次馬に集まってきて。
もっと見てたかったんだけど、その日は平日で学校があったんで、
いったん中に引っ込んだんです。その日の夕方ってか夜ですね。
僕、陸上部なんで帰りは7時すぎるんです。

おじいさんはもう片づけられて、ガードレールの内側に花束とビールの缶
とかが置かれてました。母親の話では、警察の捜査は午後までには済んで、
母親も目撃者ということで証言を求められたそうです。
「でもねえ、車のほうもスピード出しすぎてたと思うけど、
 あのおじいさん、急に道路を渡りだしたし、少し離れた信号も赤だったのよね。
 だから車の人は責められないんじゃないかと思う。
 とにかく見たとおりのことを警察には話した」母親はこう言ってました。
花束のほうは、おじいさんの子どもらしい夫婦が来て、供えていったそうです。
まあ、80のおじいさんの子どもだから50代くらい。母親が店から出ていくと、
2人そろって頭を下げたんで、母親も頭を下げ返したそうです。
長々と話しましたけど、ここまでが事故のときの様子です。

翌朝ですね。僕、部活の朝練の日だったんですよ。それで、7時少し前に
家を出ようとして、どうしてもその花束のほうへ目がいきますよね。
そのときに違和感を感じたんです。花に埋もれるような感じで
小さな顔が見えたんですよ。近寄っていくと、髪の毛のない石の人形。
印象としてはお地蔵様で、高さは30cmないくらいでした。
あれ、こんなの昨日見たとき、あったっけ。で、ここ大事なとこなんですけど、
そのお地蔵様の顔、無表情っていうか、ムッとした感じに見えたんです。
ともかく学校へ行きました。で、その日帰ってくると、母親がすごい興奮してて、
「また事故だよ。同んなじ場所、人じゃなかったけど」って言い出して。
「どういうこと?」と聞くと、今度は親父が、「今日の午後、猫が轢かれたんだよ。
 よく近所で見かけるノラなんだが、あのおじいさんと同じ場所でね」

母親が続けて、「ガードレールの上でバウンドして店の前に落ちてきたのよ。
 ズタズタになって血まみれで」親父は、「まあ、猫だしノラだから、
 事件てことじゃないけど、警察に連絡したら死骸は持ってった」って。
「それから、店の前を何度も水かけて洗って、ああ気持ち悪い」
こんなことがあった翌朝です。また学校へ行くときですね。
花束は暑さでだいぶしおれてきて、中のお地蔵様の上半身が出てたんですが、
何か顔が違ってる気がしたんです。近づいてよく見ると、
お地蔵様の右のほおに赤黒いシミが、マジックで線を引いたようについてました。
猫の血だろうか。それと、なんだか前よりも穏やかな顔っていうか、
微笑んでいるようにも見えたんです。でも・・・そんなはずはないし、
そのときは血のシミのせいでそう見えたんだろうと思ってたんですが。

それからはほぼ毎日、朝にお地蔵様の顔を見てました。血のシミは雨で消え、
でもやっぱり、微笑んだ顔で。・・・前からこうだったんだ、
そう考えるしかなかったです。それから1週間ほどして、
同じ場所で、またまた死亡事故が起きたんです。今度は子どもでした。
土曜日の午前中です。信号待ちしていたお母さんの手をふりほどいた
幼稚園の男の子が、いきなり道路に飛び出して宅急便のトラックに轢かれたんです。
母親の話では、最初におじいさんが落ちたのとほとんど同じ場所に
とばされてきて、頭が半分なくなってたそうです。「見なきゃよかった、
見なきゃよかった」母親はうわごとのようにそう言ってました。
といっても、今回は遺体を見ただけで、はねられる瞬間は目撃してないんで、
警察から聴取を受けることはなかったんです。その翌日、

現場には、おじいさんのときよりずっとたくさんの花とかが供えられてました。
それで・・・お地蔵様の姿も埋もれて見えなくなってましたが、
僕、気になってしかたがなかったんです。だから、
あんなことしなきゃよかったんだけど、次の日の朝に、花束を何個か
よせてみたんですよ。そしたら、お地蔵様の顔、笑ってたんですよ。
閉じてたはずの口が耳まで開いて、中は真っ赤でした。
そんなはずないですよね。石を彫ったものなんだから。
見ていると笑い声が聞こえてくるようで、すぐに花束を上に投げ落として
見えなくしたんです。・・・で、この話、まだ終わりじゃないんですよ。
あれは火曜日の夜です。僕の部屋は道路に面した窓があって、
その日は珍しく勉強してたんです、試験が近かったんで。

で、10時過ぎかな、そろそろカーテン閉めようかって窓のほうを見たら、
外が赤く光ってました。ほら、その1ヶ月ずっと、警察やら救急車が来てたんで、
またなのかと思ったんですが、音は何もしない。窓を開けたら、
信号下の花束のあたりが赤い光に包まれてて、でも、塀に遮られてよく見えない。
そのとき、ふーっと何かが浮いてきたんです。小さいもの、
あのお地蔵様だったんですよ。それが頭を上にしてゆっくり回転しながら、
窓の高さまでくると顔がこっち向いて、遠くてはっきりしなかったけど、
大笑いしてるように見えたんです。お地蔵様はそのまま電信柱よりも
高くまで上がると、もう降りてきませんでした。いや、そのときは
怖くて見に行かなかったけど、朝になったらお地蔵様はなくなってました。
それ以後、事故も起きてないです。これで収まってくれるといいんですけど。

補足
うちの市の郊外にね、10年ほど前に新興宗教が拝殿を建てたんだよ。
それなりに立派なもんだったんだけど、若い女性を監禁する事件があって
警察が介入し、それから信者がどんどん減ってってね。
最後は教祖と、その奥さん、息子たちだけになった。
で、つい最近、その教祖が亡くなったんだ。病死で、事件性はないみたいだな。
救急車が呼ばれて、行ってみると、教祖は死後3日目くらいで
祭壇に横たえられてた。奥さんはその間、復活させようとしてたらしい。
でも、一度死んだ人間が生き返るはずはないよな。あ、キリストは生き返ったか。
まあそれで、その宗教団体は仏教系だったんだが、長い間病気だった
教祖の体のまわりをとり囲むようにして、何体もの小さいお地蔵さんが
立てられていたって。どのお地蔵さんも赤い口を開けて笑ってたそうだよ。

なかい




田舎の話

2019.08.09 (Fri)
田舎を舞台にした怖い話ってありますよね。怪談の一つのジャンルと
言っていいかもしれません。じゃあ、田舎って何で怖いんでしょう。
まあ、これにはいろんな理由が考えられるんですが、
自分は大きく2つあるのかなと思ってます。まず一つめは、因習と
いうやつです。都会だと、住んでる人が頻繁に入れ替わりますが、
田舎は昔から同じ一族で続いてる家が多い。で、それと同時に、
よそ者には理解できない、しきたりのようなものも残っている。
もう一つは、土地が古いってことです。都会では少しのスペースが
あれば開発されてしまいます。田舎には古墳や、いわれのよくわからない
石碑なんかがあちこちに残ってますよね。今回は、自分のところに
集まってきた体験談から、田舎を舞台にしたものをご紹介します。

プロバスケ選手 高野さんの話
一昨年の秋ですね。俺、大学でバスケやってたんですが、引退しまして。
ふつうなら就職活動を始めるとこですけど、監督の推薦でBリーグ入りが決まって
ました。だから、卒業まで体なまらせちゃいけなかったんです。けど、
少しはのんびりしようと思って、2ヶ月くらい田舎の実家に帰ってたんです。
田舎は長野のほうです。まわりを山に囲まれた谷底みたいな町で
何も面白いことはありません。俺ね、そこ抜け出したいと思って、
中学からずっとバスケ頑張ってきたんです。でもね、田舎だからこそというか、
たまに帰ると落ち着くんですよ。両親もその町にいます。
うちは分家でね、本家筋というのもあって、なんでも江戸時代まで庄屋を
やってた家柄なんだそうです。けど、戦後の農地改革で田んぼみんな

取られちゃって、その後の事業にも失敗し、今は金持ちということは
ありません。ただ、山だけは広く持ってるんです。
まあ、今どき山持っててもお金にはならないんですけど。
でね、その本家に信一さんって人がいて、長男で40代、
商工会の役員やってます。俺からみて又いとこにあたるのかな。
子どもの頃からよく知ってて、帰省してたときも毎日にのように
飲みに連れてってもらいました。でね、もうすぐ大学に戻ろうかってときに、
「明日、キノコとりにいかんか」って誘われたんです。
「いいすね、戻ったらキノコ鍋やりましょうよ」俺も軽い気持ちで
承知したんですが、まさかあんなことがあるとは・・・
翌朝、早いうちに信一さんの車で林道に入り、適当なとこに停めて

山に入っていきました。そこね、本家の持ち山なんです。山って、
下草刈ったり、木の枝落としたりしないとすぐダメになるんですよね。
本家のほうでも手放したいんだけど、買い手がいない。
信一さんは道も全部頭に入ってて、ずんずん山に入ってく。
俺、体力には自信あるのに、ついてくのがやっとでした。
で、ヒラタケとかマイタケを籠いっぱいにとって、さあ帰ろうかというときです。
急に寒くなって霧が出てきたんです。信一さんが「あ、こらいかんか」って
足を早め、ブナの森に入ったとき、「いかん、いかん、左見るなよ」
語気を強めて言ったんです。でもね、俺見ちゃったんです、
道から少し入った木にぶら下がってる影。「あ!」と叫ぶと、
信一さんはチッと舌を鳴らし、「お前、目に入れたんだな」って。

「しかたない、話しつけるか」そう言って立ち止まり、「見てもいいぞ」って。
それね、ぶら下がってたの俺だったんです。俺、身長は190cm近いんですけど、
その影もひょろ長くて、しかも首が長く伸びて縄がかかってました。
髪型もそのときの俺と同じで、ただ、着てるものは黒い作務衣みたいな
やつでした。信一さんは「すまんな、油断した。だが責任持って
 話つけるから心配すんな」そう言って、両手の指を複雑に組み合わせて
ピーッって鋭い音を立てたんです。「あれ、・・俺ですよね。どうなってんすか」
「いいから、動くな」信一さんは何度も指笛を鳴らし、
すると森の奥から何かが出てきたんです。不思議なもんでした。
人・・・の形はしてましたけど、身長は子どもくらい。三角の笠をかぶってて
顔はわからなかったです。ツギのあたった野良着を着てましたね。

それと、動きが変なんです。ぽんぽんと飛ぶように移動してくる。
霧のせいではっきりしなかったんですが、足が一本しかないように思えました。
「いいか、絶対ここ動くな」信一さんは手で俺を制して、
そいつのほうに近づいてって、森の中で何か話し始めたんです。
だいぶ離れてたので、何言ってるかはわかりませんでした。
信一さんはずいぶんへりくだった態度で何回も頭下げてたんですが、
やがて地面に手をついて土下座の格好で頭をすりつけて・・・そしたら、
そいつが「こここ、こお~~~」という甲高い声で叫んだんです。
すると、木にぶら下がってたもう一人の俺が、さわってもいないのに
ぶらんぶらん揺れだして。やんちゃな子どもがブランコ漕いでるようになって、
一番高いところで、ふっと消えたんです。

それと同時に、笠をかぶったやつもいなくなったんです。
信一さんは立ち上がり、手をパンパン払いながら戻ってきて、
「いや、びっくりしただろ。あれはくわしくは言えんが、山の者だ。
 昔からいる。この10年以上姿を見てなかったから、もうどっかにいったのかと
 思ってたが、まさかなあ、まだ出てくるとは」俺が口をはさもうとしたら、
「いや、聞くな、答えられんから。話はついた、大事ない。
 うちの家では常の祀りはかかしとらんから」そう言って、俺が背負ってた籠を
 降ろさせると、ブナの木の間において帰ってきたんです。
それから町中へ戻って、その晩も店に行って飲んだんですが、
信一さんが押し黙り気味だったんで、そのものが何かはとうとう聞けませんでした。
数日して、俺は大学に戻り、その後1年は何事もなかったんです。

でね、俺はBリーグのチームでデビューして、その試合に両親と田舎の友だち、
高校のときのチームメートとかに来てもらったんですよ。
活躍、というにはほど遠いゲーム内容だったけど、みんな喜んでくれて。
でも、招待してたのに信一さんは来なかったんです。
試合後、どうしたのか母親に聞いたら、足を悪くして入院してるって
ことでした。もともと糖尿病だったのが悪化したみたいで。
ああ、見舞いにいかなきゃと思ったけど、シーズン中は毎週2試合あって
どうにもならなかったんですよ。それから1ヶ月くらいして、
部屋の固定電話に夜、信一さんから連絡があったんです。
信一さんは暗い声で、俺が無沙汰なのをわびるのを制して、
「糖尿で右足切ることになった。まあ、しかたがない、

 病気は昔からだし、あんだけ酒のんだんだから、あきらめはついてる。
 義足つけてリハビリすればなんてことない。
 けどなあ、山で見たやつがいただろ。あいつな、あれだけ話したのに
 満足してねえんだ。もう一本ほしがってる」
「もう一本て?」 「・・・お前の足だよ」 「!!」 「だが、心配するな。
 俺の責任だからなんとかする。相打ちしてでもやるから」
わけがわからないまま、それで電話は切れ、あとは通じなかったんです。
実家に連絡したら、すぐに紙の人形が送られてきました。母親は、
神棚にそれを置くのがいいが、そんなのないだろうから、机の上にあげて、
毎日、酒と塩をそなえろって。やはりわけは教えてくれまでんでした。
俺ほらバスケ選手で、足は命でしょ。他に何のとりえもないから、

言われたとおりにしてたんです。遠征のときもプラスチックのケースに
入れて持ってってね。チームメイトには、「お前、何やってんだよ」って
からかわれました。ジンクスだと思われたんでしょうね。
試合のほうはレギュラーで出られるようになって、でも、足のこと
言われてたから、ケガだけは気をつけてました。で、また1ヶ月くらいして、
とんでもない知らせが入ったんです。義足でリハビリしてた信一さんが、
一人で山に入って、缶のガソリンをまいて山火事を起こしたって。
燃えた面積は広くなかったみたいですけど、信一さんは自分も火傷で
亡くなったんです。その夜ですね。葬式に出るために荷物をまとめてて、
ふっと紙人形を見たら、下のほうが切り欠くように
なくなってたんです。ハサミで切ったような鋭い切り口でした。